2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

需要供給曲線

市場原理と競争原理から経済の原理を調べている。 経済学の教科書に「需要と供給の曲線」が出てくる。 この図を見ているといろいろな疑問が出てくる。 「需要はモノが少ないほど値段が高くなり、モノが多くなると安くなる。」 これは何となくわかる。 では、…

アウシュヴィッツ解放70年

「過ぎ去っても忘れ去ることはない」 http://www.japan.diplo.de/contentblob/4443484/Inhaltsbild/5083769/Holocaustgedenktag.jpg 画像を拡大 (© Bundesregierung/Bergmann) ナチス犠牲者追悼記念日は1945年1月27日の赤軍によるアウシュヴィッツ強…

複雑怪奇な微塵世界

この微塵世界は複雑怪奇だ。 私の仏国土に仏の慈悲は満ち満ちているのだけれど、同時に様々なものが介入してくる。 この介入してくるものは、知らず知らずに私を支配し、いつの間にやら私を服従させている。 教育を産業や市場ととらえ、その中に「競争原理」…

「微塵世界にみちみちたまえり」

今月のプチ法話会で講師の安楽寺さんの法話を聴聞した。 その中で、 「この如来、微塵世界にみちみちたまえり、即ち一切群生海の心なり」 という唯心鈔文意の言葉を教えていただいた。 私たちの如来はどこにいるのか? 如来は、私たちには見ることはできない…

「新自由主義と権力」

昨年来、経済の学習をしている。 町の経済学講座と、今日やるTVピケティの白熱教室で。 講座でも話題になったが、現代の経済を見るうえで欠かせないのが新自由主義。 そこで、「新自由主義と権力」を読んでいる。 読みすすめていると、新自由主義というのは…

【指し示しの数学】のup開始

はまぐりの数学 に【指し示しの数学】を載せることにした。 全てPDFファイルである。 157、【指し示しの数学】第1章 「問い」とは何か? ・・・世界は指し示しとともに存在を開始する 158、【指し示しの数学】第2章 数学は何をしているのか? ・…

鏡の実験

マジックをやっていて、右と左をつい間違えてしまうことに気がついた。 自分の自覚と見ている人の左右が逆なのだ。 「私の右手は」と言うと、見ている人は、その人になって右と認識する。 ところが、「右を向いている→は」というと、見ている人は、自分の右…

「宮川孟弼」について

八幡神社の算額の作者、神谷直縄と宮川孟弼について 昨年書いた「美濃飛騨の国の和算の歴史」では、それぞれ僧忍澄と浅野孝光を当てていた。 忍澄のいた寺について、現在の様子を知らせていただいた方がいて、 再度忍澄を調べようと思ったのが発端。 当時ネ…

新年会

昨夜は町内の新年会。 マジックを披露した。 酔っぱらってもできるマジックは、簡単ですぐに見破れる。 だから、裏を見ると表が分かるということを漢字で示して、テーマとした。 なかなか好評だったと思っているけど・・・。 いろいろな方といろいろな話をす…

ケプラーとピケティ

図書館で「ケプラーの憂鬱」という小説を借りてしまった。 16世紀末から17世紀にかけての、ケプラーの法則の発見に至るまでの苦悩が書いてある。 ケプラーの激しやすい性格は幼児の頃の虐待によるもので、彼のメランコリーの原因であると分析している。 その…

末端は葉である(ツリーとリゾーム)

ツリー構造は、同時にリゾーム構造を連想させる。 それは、ネットワークにつながっていく。 ネットワークは縁起の構造と同じだから調べてみたくなる。 ツリー構造は、何かと何かをつないでいる構造であり、 川は大地と海を、木は大地と大気を、血管は内部と…

気づきについて…木&川

私はなぜ気づけるのだろうか? まったく知らないことだったら気づくはずはない。 知っていることだったら発見の喜びはないはず。 それは、知っているとも違うし、知らないこととも言えない。 このことは不思議である。 そこに何かあるのではないかという気づ…

「学習Ⅱ」の意味について

フランスの新聞社襲撃事件について、最初は言論の自由を侵すものという批判をしていた。 ところが、この記事を読んで、そういう見方は、強者の側の見方だと感じるようになった。 フランスの新聞社襲撃事件から「表現の自由」の二面性を考える-サイード『イ…

クラスが学習するということ(ベイトソンの学習理論)

仏教も教育も社会も、「学びに開かれたもの」でなければならないとすれば、 その「学び」とは何かをつかむ必要がある。 学習とは何かを、ベイトソンは40年以上前に自身の学びをとことん見つめ、ある学習理論を提示した。 それは、個人であっても、動物であ…

東海北陸地区セミナー

昨日から、和倉温泉で東海北陸地区セミナーがあった。 このセミナーは、東海北陸の教師が集い、実践を分析しあう学習会である。 最近は全国大会に出ることが少なくなったので、近くで参加しやすいこのセミナーに参加している。 ふりかえってみると、30回以…

「ちえ」の構造

38年前に読んだ『「ちえ」の構造』という中山正和氏の本がある。 ふと思い出して取り出してみた。 開いてみると、紙がきいばんでいる。 この中に、「仏教の智慧」と「西洋の全知全能の知」との違いが書いてある。 当時、なるほどと思って読み、それ以後、…

整理整頓と吉田寅次郎の受けた教育

新年になって、やり始めたことは整理整頓。 古い資料を片づけ、必要な資料を使えるように整頓する。 たった、これだけのことなのに、3日もかけてしまった。 まず、透明ファイルの内容が古かったら、中身をA4の袋に入れて年月日と名前をつけて保存する。 …

「目覚め体験」=「凡夫の自覚」+「私一人のための世界」

信心とはこうあるべきものであるという、共通で、上から目線で、天下るものであるという姿勢はとらない。 信心はあくまで個人的なもので、しかし、それは仏との関係において成立するから与えられた信心となる。 これを前提として、私の「目覚めの体験」を表…

郡上割り箸プロジェクト

同窓会で耳に挟み、興味を持ったプロジェクトがある。 題して、郡上割り箸プロジェクト 安い外材が入ってきて、郡上の山の木が売れなくなり、山の手入れもされなくなっている。 そういう山の資源にもう一度目を向けながら地域の環境に対する取り組みや経済活…

池田勇諦師の法話

紹介していただいた池田勇諦師の法話。 酒で呆けてしまった私に、新春の爽やかな法を届けてくださったことは、如来からの本願力廻向。 来生の開覚は他力浄土の宗旨。信心決定の通故なり。 (歎異抄) この通故は、「道なるが故に」と読む。 (1)かの国に生ま…

尊敬する教え子と枡形地蔵

昨夜、28年前の教え子の同窓会があった。 懐かしい人と出会えた。 朝に道を聞いて、夕べに死すとも可なり。 いつも学ばされることばかりである。 それぞれの歩んできた人生の重みが語るものは大きい。 つくづく思う。 リスペクトできる教え子と出会えるこ…

新年と無分別智と分別知

大晦日から二日にかけて、いつもながら疲れ果ててしまった。 大晦日には50人分用意したゆず生姜湯が足りなかった。 九十を過ぎた親父が孫たちとマーシャンをやっていた。 年始の挨拶に回ったそれぞれの家で様々な慶びや辛いことを聴いてきた。 姪がおくっ…