集合知とリスク管理

岐生研で「ハイブリッド研究会」を計画している。

その準備では、二つのことが課題になった。
一つは「集合知」のこと、もう一つは「リスク管理」のことだ。

この二つは実は密接に重なっている。
当日までに起こりうるリスクを想定してそのことに対処するためには、どうしても集合的な知が必要だからだ。
そして、その集合的な知は新たな知をデータの集積という形で生み出す。

これらのことをたった一日で経験したので記録しておく。

ハイブリッド研究会は「リアルな研究会」と「オンライン参加」との両方を同時に進めるからハイブリッド。
リアルでやるならオンラインは必要ないのではと思うかもしれないけど、
当日の都合など様々な理由でリアルには参加できない人がオンラインで参加できるので確実に参加者は増える。
そして、その様子は音声と映像で記録されて保存され、後からさらに利用することができる。

ここで問題は、主催者側の負担が大きくなることだ。
だけど、それを可能にする環境だったら負担は軽くなる。

さて、ここで集合知のことだけど、それを一人のスーパーマンがやってしまったら、その人が居なくなったときにその知は失われてしまう。
つまり、リスク管理の面からも集合知は大事なのだ。

そして、この場合、集合知は新たな知を生み出す。
それはスキルという知だ。
今回、いろいろ取り組む中で、少なくとも4名の人が関わり、実際に取り組むことでそれぞれのスキルが確実に上がった。

創造性とはそういう小さなスキルの積み重ねの上に成り立つ。

まだこれから当日の運用の仕方や、その後のデータの利用の仕方などいろいろな課題がある。
それも楽しみである。

 

知育教材(玩具)について

TVで知育玩具が流行っているということをやっていた。

いろいろなやり方や玩具を紹介していたので面白かったけど、いずれも子どもの頃からわが子の集中力や創造性を何とか高めたいという親心を大前提にしている。

でも、そこには一番大事なことが抜けている。
それは知性や創造性は個人のものではなく集団的なものだということ。
一人一人の知性や創造性などはいくら高くてもたかが知れたものだということ。
このことを忘れて取り組んでも何にもならない。

鷲狩り伝説についていろいろ調べている。
すると、まず先哲がいることに気が付く。
次に、そもそもなぜこのように熱心に調べているのかというと、それを提案しシンポジュウムを開くと計画してくれた友人がいる。
調べているうちにわからないことが出てくるので、それを師匠に質問する。

昨夜その師匠から、見せていた資料を預かっているという電話があった。
どうやら資料が紛れ込んでいたようだ。(偶然も大きな要素だ!)
そして、その資料を見た師匠から貴重な意見をいただいた。

森は上下ひっくり返って書かれる場合があるということを。
だから(森の上下入れ替えた字)はやはり森であるということ。

これはとても貴重なアドバイスで、おかげで研究が大きく進展する。
こういうのを集団的な知性や創造性というのだろうと強く感じたしだい。

 

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回線が光になったのにネットが遅い。
WiFiの無線が10年ぐらい前のものなので遅いのだろうということで、新しいものに買い替えた。
6千円以上したけど確かに早くなっている。
設置するのは簡単だったけど、パソコンとつなげるのが手間取った。

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正しさの感覚

病院の待ち時間に読む本はなぜかよく理解できる。

佐藤文隆先生の「人格教育と科学についての論文」(現代思想7)
面白そうと思った論文は後から「矢印の図」にすることにしている。


科学教育のベースとしての数学の役割 (最近科学のとらえ方が混乱している)
      
自分が納得したことを人と共有する営みとしての数学

      ⇓ そういう数学教育は重要

      ⇓ なぜなら数学は次のことを可能にする

自分ではどうしようもない必然として存在するものが、自分の外にも内にもある(☆)

       そのことを自分で確認(体感)する(できる)

正しさの根拠を持つ=正しさの感覚の養成

 
そもそも理論とは何か

   理論   ⇌   実在=本質(これが☆)
    ↓  ↘
   技術 ⇢ 生活への理論の刻印(これは表現できない過程)   
    ↓         ↘ (認識の過程)理論が自ら姿を顕す
   具体的なすがた → 生活世界の解釈 → 表現(文学など)

理論が私たちに届くにはかなりの回り道を経なければならない。
私たちに(科学的)理論が姿を現れるにはかなりの道のりが必要。

だから、
科学的知識(情報)ではなく「なぜそう考えられるか」の正しさの感覚こそが大事。

 

那留ケ野騒動

古文書読ままい会があった。

明治2年に東京遷都のことで太政官からお触れが出ている。
その文章がわからない漢字で書いてあって、読むのに苦労した。
歴史的事実から推測して、皇后が東京へ行啓したのだと解釈。
つまり、皇后が行啓(天皇の場合は行幸)したということは事実上の遷都なのだけど、あくまで京都から東京城への行啓であるということで、反対派を抑える配慮なのだろう。

さらに、郡内で三日(二晩)にわたる寄り合いが那留ケ野であり、その後同心が来て牧村でも手鎖りで捕らえられた人がいると書いてある。

これは、「那留ケ野騒動」のことで、明治元年と二年にわたって凶作となり、郡中3千人が那留ケ野に集まり、年貢米の軽減とお助け米の代金千両(二千両)を藩庁に借りるという要望を出している。
藩庁はその願いを聞き入れなかったが、別の村からの堤防修理費の要望は聞き入れる。
そして、農民同士のいさかいが始まるのだけど、藩庁は騒動の中心となる67名を入牢させ、二ケ月後に収まると、取り調べなしに釈放している。

この対応の仕方は、どこかの国が現代でも使っている。

明治になっても一揆が起こっているのだ。
江戸時代はちゃんと藩主が責任をとらされたけど・・・。

終わってから、佐藤先生に「鷲狩り伝説」のわからないところを質問した。
時間がなかったので4か所しか聞けなかったけど、すっきりした。
帰ってから早速訂正。

例の名前の字は木+林だとあるのだけど・・・と言われた。
つまり下の字は林で普通は森に使う。
字からすると林+林=森となるのではということ。
これもありうる。

 

マイタケご飯

久しぶりに弟の家族が訪ねてきた。

コロナのせいでなかなか会えなかった時にZoomをした。
リアルで会うのはやはり違う。
久ぶりに墓参りしたいと言ったので、親父の納骨を一緒にすることにした。
前からお骨が気になっていたので良い機会だった。

彼が言うのに、コロナの前と今では生活が全く変わっていないとのこと。
いつも自然と触れ合う生活だからそんなに変化がないのだ。
山でとってきて自分でつくったマイタケご飯を頂いた。
おいしかった。

 

さて、「はまぐりの数学」のサイト分析をしているソフト。
すぐに忘れてしまうので記録しておく。

Webalizerの見方|ahref.org

 

家の工事が本格的に始まった。
外壁の水漏れは修理するのにちょうど良い機会だったとのこと。

 

「梦保」とは誰か?

鷲見大鑑の最後に署名がある。

梦保と書いてある。どう読むか悩んだ。

調べると梦は夢の異体字

梦保は夢保ではないか。

では誰か?

系図を見ると一番最後の鷲見甚内と考えるのが妥当だろう。

彼は延宝騒動か遠藤家の改易で暇を出されている。

夢とつけたのも頷ける。

この梦保を調べるだけでも何日もかかっている。

 

友人が遠方から訪ねて来た。

何時間も話し合った。

苦労されたことが伝わってきた。

彼も尊敬する友人である。

うまく書けないけど、前に書いた鷲見氏との奇妙な因縁もある。

不思議としか言いようがない。

貴重な時間を共に過ごすことができた。

 

鷲狩り伝説パネルディスカッション

新型コロナウィルスはやはり怖い。
まったく運しだいだという所が怖いのだ。

鷲狩り伝説について、読めなかったところを再度読んでみた。
かなりわかってきたが、後二か所わからない。
これには辞書が必要なのだけど、あいにく手元にないのでこれで一旦打ち切り。

ここで、いろいろ想像してみる。

同じ郡内美並町に妖鬼(牛のような)退治伝説がある。
江戸時代にできたと思われるけど、これは近隣の郷に迷惑をかけていた妖鬼を、藤原高光公が退治するというもの。
これと比べると、鷲は何も悪いことをしていないのに退治されたことになっている。(濃北一覧)
ところが、鷲見大鑑の方は捕らえたとしか書いてない。
しかも鷲と鷹が混交している。
土岐氏の鷹は有名だけど、「鷹狩り」と「鷲狩り」が混同されたのだろうか。
「鷹狩り」の鷹は権力の象徴として大事なものだった(他の者にはさせなかった)。だから天皇は鷹の「巣ごもり」で生け捕りを欲していた。殺せとは言っていない。とすると、濃北一覧の記事はおかしいことになる。

いずれにしても伝説は後から創られるものだということがわかる。

さて、問題は鷲見大鑑を誰が書いたのかということである。

(1)鷲見氏一族

(2)大屋氏

(3)小左衛門

の3つが考えられるけど、いずれも決め手に欠ける。
鷲見大鑑がなぜ(3)にあったのかということも重要である。

(2)の市兵衛文書も気になる。

(1)は鷲見家史蹟が元になっている。

これらが様々に絡み合っているけど、本来の根本資料は「従足利将軍感状写」である。
もう一つそれらをつなげる資料が欲しいと思っている。

 
とてもきれいな花だけど名前を忘れたと母。

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