2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧
「一即一切、一切即一」 これは華厳経の中にある言葉らしい。 周りの小さな出来事の中に、一切の法則が見えるということか。 私はシダの葉が好きである。 その理由はフラクタルだからだ。 このフラクタルが「一即一切、一切即一」を部分的に示しているような…
昨夜、「宇宙白熱教室」を見ていたら、概算の威力をやっていた。 宇宙白熱教室 第2回「入門編(2)物理学者の秘密のお仕事 ... 使うのは指数を中心にした概算。 フェルミ問題を概算でどんどん解いていくのは見事だった。 物理学と数学の違いが判ったような気…
「浄土三経往生文類」の一節の現代語訳。 「この世界には、 胎生や卵生や湿生や化生というさまざまな生れ方をするものが多くいて、 そこで受ける苦も楽も千差万別である。 それはさまざまな迷いの行いに応じて生れるからである。 しかし、 浄土では、 みな阿弥陀仏…
疲れ切って、一日中頭痛が収まらなかった。 眼も見にくくて、デスプレイがぼんやりしている。 「志を実現するために」という言葉を聞いた。 この言葉は、ある命題や仮説をもって、それを実現する(現実に当てはめて変える)ことを言っている。 その志は本人…
「なぜ世界で貧困がなくならないのか」 「なぜ豊かなはずの国で孤独のうちに餓死する人々がいるのか」 「なぜ子どもを虐待する親が絶えないのか」 「なぜ長時間労働によってうつ病になり、自殺する人が増えているのか」 この問いをどう読み解いていけばいい…
私は辛いことがあると数学に逃げる癖がある。 今回はサッカーボール。 ワールドカップを見ていて、ボールが気になった。 2002年の日韓共同開催の時は、サッカーゴールの網目について考察した。 61、サッカーのゴールの網目は,なぜ六角形になったのか…
ガロア理論を書いていて、一番苦しんだのが正規部分群である。 ガロアが、正規部分群をどうやって発見したのかがわからなかった。 一つ思いついたのが、群どうしのかけ算と割り算。 それで、 「割り算ができる部分群が正規部分群である」 とすれば、分かり易…
サッカーワールドカップで世間が浮かれている間に、政治の世界ではとんでもないことが行われている。 たぶん、いろいろあることはすべてつながっているのだろうが、あまりに急変である。 私が一番悲しいのは、執行している人たちの思いの都合でコトが行われ…
全てが神の御業なら、今現実に起きている出来事には意味があるはず。 そうすると、神に問わざるを得なくなる。 「なぜこのようなことを私たちに与えるのですか」 でも、神は応えない。 その場合に三つの対応がある。 一つは、応えない神から離れることである…
100分で名著で「旧約聖書」をやっていたので、テキストを買ってきて読んだ。 旧約聖書は普通に読んでもわからない。 このテキストはその読み方の一つを示していると感じた。 「神はなぜ沈黙しているのか」 「ユダヤ教が民族宗教から世界宗教になったのはなぜ…
説明するときに「たとえ」を使うと分かり易い。 このたとえと「回り道」とが、同じコトの逆の現われであるということがわかってきた。 矢印は対応、射、写像、拡大、相似・・・などを示す。 「回り道」は抽象の方へ、「たとえ」は具象の方へはたらく。 「数…
この病気は暑くなるとよくない。 ちょっと歩くとしんどい。 というわけで、一日中寝ていた。 少し動いて寝て、TVを見ながら寝て、本を読んで寝て・・・ 寝ながら考えた。 とかく人の世は住みにくい。 ああいえばこういう。 こう思えば違うという。 もっと…
スランプである。 身体も調子が良くない。 気持ちも暗い。 周りでよくないことばかり起こる。 そういう時は身体を使う。 今日は木を切った。 しんどくないように、いろいろ工夫したが、結構えらかった。 さて、これはカタツムリの内部の写真。 意味があるわ…
あれから、「還来」と「所止」を考えている。 還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入 生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。 すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。 當…
まだ6月と言うのに、最高気温が35度を超えた。 平均気温も高い。でも、最低気温は変わらない。 これまでの6月1日の平均気温をはるかに超えているという。 一日の平均気温というのはどうやって求めるのだろう。 そんなことで、平均について考えてみた。 …
ドクダミの花が咲いている。 白い花が散らばっている。 その花を見ながら、法友と数時間語り合った。 苦しみと不安の娑婆世界はのがれがたい。 不安は自分の身体が確実に悪くなっていることから来る。 でも、私たちは浄土の教えは還相の教えを以て、生きるよ…
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 極悪深重の衆生は 他の方便さらになし ひとへに弥陀を称してぞ 浄土にうまるとのべたまふ 煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり 「…
久しぶりに坪庭を変えてみました。 疲れていたので、最もシンプルで簡単にできるものにしました。 正方形は空間を、円は無限を、正三角形は運動を意味しています。
もっと前からわかっていていたと思うのだが、 正信偈をあげていてやっと気がついた。 はっきり意識できたというべきか。 和讃と正信偈の共通点。 四句一首ということだ。 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我 煩悩にまなこさへられ…