「功徳大宝海」と「生死海」

疲れ切って、一日中頭痛が収まらなかった。
眼も見にくくて、デスプレイがぼんやりしている。
 
「志を実現するために」という言葉を聞いた。
 
この言葉は、ある命題や仮説をもって、それを実現する(現実に当てはめて変える)ことを言っている。
その志は本人の思う正義であり、それを実現するために行動するということだろう。
 
でも、理想の世界を設定し、現実の世界を変えようとしたり、それを実現しようとすることは、
一見ロマンチックだが、昔から数多くの悲劇を生み出してきた。
理想と理想の争いとなるからだ。
 
私自身、佛国土(浄土)を現世に実現するという思い込みをしていた。
仏法(縁起の道理)は、そういった理想や命題を置かない。
置いた途端、縁起から外れてしまう。
それを仏法(宗教)の世俗化という。
 
一乗海という言葉がある。
親鸞さんは、浄土を海という言葉を使って表していた。
大宝海、智願海、本願海と呼ばれている。
ところが、同じ海で、群生海、無明海、煩悩海と呼ばれる。
だから、この海はこうあるべき世界では決してない。
あるべき世界を設定した瞬間に差別が生じる。
この世界は混ざり合った海のような世界であり、だから難度海なのだろう。
 
河の水は海に入って一味となり、
海は大雨も余すところなく受け、
海は屍骸を宿さない。
海は広大無辺であり、無量の珍宝を蔵す。