極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
極悪深重の衆生は
他の方便さらになし
ひとへに弥陀を称してぞ
浄土にうまるとのべたまふ
煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
「私は海辺で遊んでいる少年のようである。
ときおり、
普通のものよりもなめらかな小石や
かわいい貝殻を見つけて
夢中になっている。
真理の大海は、
すべてが未発見のまま、
目の前に広がっているというのに。」
このニュートンの言葉は真理と私たちの関係をよく示している。
岡潔は「じゃあ、その大海の方が本質だ」と言ったらしい。
私という自我よりも、真理の大海の方が本質であることはよくわかる。
自我から見るか大海から見るか。
私は自我から見てしまうことから離れられない。