正規部分群とその体感

ガロア理論を書いていて、一番苦しんだのが正規部分群である。
ガロアが、正規部分群をどうやって発見したのかがわからなかった。
一つ思いついたのが、群どうしのかけ算と割り算。
 
それで、
「割り算ができる部分群が正規部分群である」
とすれば、分かり易いのではないかと思って書いた。
ところが、割り算ができるということをどう定義したらいいのかわからなかったので、
間違ったことを書いてしまった。
以前からそれが気になっていたが、どう直したらいいのかわからなかった。
それが今朝になってようやく見えてきた。
 
書くということは間違いに気がつくことであり、方向が定まってくることであると改めて感じた。
書きながらこういうことだったのかと見えてくるものがある。
ガロアは、右と左のそれぞれの剰余類が一致するときに正規部分群であり、
その割り算が商群となることを書いている。
やっとこれを体感することができた。
 
一方教科書では、正規部分群を最初に定義している。
ところが、なぜそう定義したのか、それがどういうものなのかわかりにくい。
定義を最初に示して、それを使って証明をしていくという方法は、
体系的ではあるが、抽象的すぎてイメージするのが難しい。
一方、具体的、具象的であるのは、ごたごたしてすっきりしない。
 
ただ、私は抽象的な定義と公理を使っての説明は、
真理を現実に当てはめるという、押しつけのような気がして好きになれない。
天下りの押しつけと感じるのだ。
だから、具象の世界をのたうちまわって、やっとつかんだ法則(定義・定理)こそが、わかるスタートなのだ。
 
解釈も同じことだと思う。
自分に都合の良いように解釈するのは、真理を曲げることだ。
それを私自身もやっているのではないかといつも振り返らなくてはいけない。