正覚のはなより化生して

「浄土三経往生文類」の一節の現代語訳。
 
「この世界には、 胎生や卵生や湿生や化生というさまざまな生れ方をするものが多くいて、
 そこで受ける苦も楽も千差万別である。
 それはさまざまな迷いの行いに応じて生れるからである。
 しかし、 浄土では、 みな阿弥陀仏の清らかなさとりの花からの化生である
 それは同じ念仏によって生れるのであり、 その他の道によるのではないからである。
 そこで、 遠くあらゆる世界に通じて、 念仏するものはみな兄弟となるのであり、 浄土の仲間は数限りない。 」
 
後半の読み下し文。
 
 かの 安楽国土 は、 これ 阿弥陀如来の 正覚浄華の化生する 所にあらざることなし。
   同一に 念仏して 別 の 道 なきがゆゑに。
  遠く 通 ずるにそれ 四 海 のうちみな 兄弟 とするなり。 眷属 無量なり。
 
同じ親から浄土に生まれたので兄弟という。この兄弟を娑婆では御同朋・御同行という。
 
 如来浄華の聖衆は
  正覚のはなより化生して
  衆生の願楽ことごとく
  すみやかにとく満足す

 天人不動の聖衆は
  弘誓の智海より生ず
  心業の功徳清浄にて
  虚空のごとく差別なし
 
私たちの信心は、
正覚の華より生まれたもの
弘誓の智海より生まれたもの
だからそこには一切の差別はないはずである。