正像末浄土和讃の好きなところ

雪が少し積もっていた。5㎝ぐらいかな。
今日は外の仕事はやめて、中の仕事をやろう。

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この部分を何度も何度も繰り返し歌っている。
正像末浄土和讃より

超世無上に摂取し 選択五劫思惟して
光明・寿命の誓願を 大悲の本としたまへり

阿弥陀仏は、 あらゆる仏がたに超えすぐれたこの上ない誓いを五こうもの長い間思惟して選び取られたのであり、 それはこうみょうりょうの願と寿じゅみょうりょうの願を大いなる慈悲の根本とされたのである。

浄土の大菩提心は 願作仏心をすすめしむ
すなはち願作仏心を 度衆生心となづけたり

浄土他力の大菩提心は、私に仏になろうと願う心すなわち願作仏心を勧めておられる。 その心はそのまま、 あらゆるものを救おうとする心すなわち度衆生心というのである。

衆生心といふことは 弥陀智願の廻向なり
廻向の信楽うるひとは 大般涅槃をさとるなり

あらゆるものを救おうとする心すなわち度衆生心とは、 阿弥陀仏の智願によりこうされた心である。 この回向された真実の信心を得る人は、 大いなるはんの悟りを開くことができる。

如来の廻向に帰入して 願作仏心をうるひとは
自力の回向をすてはてて 利益有情はきはもなし

阿弥陀仏の回向に帰入して、 仏になろうと願う心すなわち願作仏心を得る人は、 りきの回向を捨て去って、 如来の徳の現れとして、衆生を救うことは際限もない。

弥陀の智願海水に 他力の信水いりぬれば
真実報土のならひにて 煩悩・菩提一味なり

大海に川の水が流れ込むように、阿弥陀仏の本願の海にりきの信心の水が流れこんだなら、 真実の浄土にそなわるはたらきで、 煩悩とさとりは一つの味となる(煩悩が転じて菩提に同化する)。

如来二種の廻向を ふかく信ずるひとはみな
等正覚にいたるゆゑ 憶念の心はたえぬなり

阿弥陀仏往相おうそう還相げんそうの回向を深く信じる人は、 みなとうしょうがくの位に至るので、 本願を思いおこす心は絶えることがない。

弥陀智願の廻向の 信楽まことにうるひとは
摂取不捨の利益ゆゑ 等正覚にいたるなり

阿弥陀仏の本願のはたらきで回向された真実の信心を得る人は、 摂め取って決して捨てないという光明の利益を蒙る故に、 等正覚不退の位に至るのである。