遺教法語

読んだだけでは理解できないので打ち込んだ。
打ち間違いがあると思うけど、とてもよくわかる。

 

遺教法語

 宝暦7丑の春。三枝郷に在って心地不例に侍るまま、高山に越して、田近亭に寓して前原の治療を受けて居たにしかば、近所好の面々集まり合って看病し、煎湯、薬治、錬丹、補療、起臥の助力・食事等よろづに心をそへ給わりぬ。
 殊に又時々の法語、間々の慶讃に病中の疎も諫め、日頃の疎も引き立てられ、内外の親切、世出世の親愛浅からず。
 ここに快気を得て立ち分かるゝ時にのぞみなば、看病親切の謝礼のため、死後になり、且形見にもと思ふ心より筆を運ばせて左の如く。

 

 南無阿弥陀仏のいわれを能知りたる人こそ、仏にはなるべけれと伝えり。其のいわれを能く思召し知り候事、何より何より肝要の事に候なり。とてもかくても死ぬべき命を持ちながら、死しての後の一大事を心に掛けざるほど悲しきはあるべからず。
 今世の心得にて死して後さとりの台に赴くか、又迷いの底に沈むか、二つ一つの一大事、のるかそるかの了簡(見)。命は呼吸に迫りぬれば明日の了簡と待つべき事に非ず。能々思案をめぐらすべき事なり。

 

問 南無阿弥陀仏のいわれを如何知り侍るべきや

答云 お言葉に「本願の本末を聞いて信ぜよ(しかるに経に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。)」と仰せられたり。抄略

 その本といふは悪人女人の罪深く障り重くして諸有利益にもれ、諸仏の利生に嫌て地獄ならでは赴くべき方の無きを本願の思召し立としたまふ、是本願の本なり。此の所請(いわれ)あるが故に悪人済度の本願と申すなり。
 次に、末と申すは御願円満と成就して南無阿弥陀仏の御覚りと顕れ、悪人済度の如来とならせたまうを其の末と思ふべきなり。これ悪人女人弥陀に限って助けたまふ所請なりと知るべきなり。

 

問 御覚りの御名を南無阿弥陀仏と申すは如何なる請にて侍るや

答云 南無阿弥陀仏と名づけ奉ると云ふは、善導云「言南无者則是帰命亦是発願廻向之義 言阿弥陀仏是即其行以此義故必得往生」と釈したまえり。

 此の御言を御文にやわらげたまひて「南无といふは助けたまえと思ふ心なり。阿弥陀仏といふはたのむ衆生を助けまします法なり。是を機法一体の南無阿弥陀仏と申すなり」と仰せられたり。

 弥陀の願在す赴きは極重の悪人女人諸仏の利生に漏れはてつる罪人に助けたまえと思ふ心を発さしめ、其一念に往生の業具わりで碍なく助けたまわんとの御願なるが故に、不可思議永劫の修行成就しましまして兼ねて願ひまします如くたのむ機の発するやうに成就したまわるを南無と云ふ。
 故に弥陀の御正覚をば南無阿弥陀仏と申し奉るなり。是即ち正覚・果名と云ふなり。
正覚とは弥陀の御さとりと云ふ心なり。果名と云ふは欠けぬなり、成就したまえる御名と云ふなり。
 此の果名の顕るゝ事は十方衆生の往生の願行成就の顕れなれば此の六字を衆生往生の全体と云ふなり。
 全体とは例えば十人あるべきことならば、十ながら、百あるべきことならば百ながら円満具足して毫厘も欠けたることなきを全体と云ふなり。然るに一切の衆生南無阿弥陀仏は我等往生の全体なることを知らずして及ばざる廃悪修善心をかくれども貪瞋止むことなければ其の益なき事、水に絵を書くが如くかなはざる。入証得果に身を苦しめども煩悩競ひ起こって止まざる事は糖を運んで淵を埋めんとするに似たり。

 弥陀の大悲は是を憐愍してかの南無阿弥陀仏大利を与えんと心を運び身を尽くしたまふ事一念一刹那もたゆみたまふことなく、何とぞ何とぞ思召しかけつめたまふ大悲の慈念勇猛なる故に、お経にも「荷負群生為此重担」と説き、「諸苦毒中我行精進忍終不悔」と説きたまへば、勇猛の思召し専志の心念今我等が浅間しき貪瞋煩悩の心の底に至り届かせられたる所が行者帰命の一念とは起こり顕れたるなり。

 仍て此の一念如来選択の願心より発起せしめたる一念なれば、行者の方より起こり顕れたる一念に非ず、如来御回向の一念とは申すなり。
 此れに依って此の一念は例えば樋口の桶の水八分にても九分にてもこぼれず、十分に満たる処よりこぼれ顕われたるなり。よって是を如来の勲習力の顕れとも申すなり。
已にご和讃にも「願作仏の心はこれ度衆生の心なり 度衆生の心はこれ利他真実の信心なり」とは顕したまうなり。然れば此の行は帰命の一念即南无の二字なり。是南无帰命の一念起こり顕れたれば、機法元より一体の南無阿弥陀仏なるによって、一念帰命する立ち所とりもなおざず南無阿弥陀仏なり。
 此の果号即ち如来の万徳の備わりたまふ南無阿弥陀仏なるが故に、一念たちどころ往生一定なりと心得られたるを南無阿弥陀仏の謂れを知りたるとは申すなり。此れを南無阿弥陀仏の他力の信心とは申す事にて候なり。
 かかる不足なき御ことはり聴聞の申しわかりつるときには仏恩の称名あるべきこと聖人の御言に「唯能常称如来号応報大悲弘誓果」と顕したまひ。御文には「自身往生の業とは思ふべからず。ひとへに仏恩報謝のためと心得侍るべきものなり」と仰せられたり。又「弥陀にはや助けられまひらせつる後なれば、御助けありつる御うれしさの念仏なれば、此の念仏をば仏恩報謝の称名とも云ひ及び、信の上の称名共に申し侍るべきものなり」又「如来我が往生を定めたまひし御恩報尽の念仏と心得べきものなり」と仰せくだされ候へば、仏恩報謝の称名他事なく御よろこび候事かえすがえすの事に候なり。

   あなかしこ あなかしこ

                         浄明 六十八歳

看病之御同行衆中え

                     「円光寺五百年史」より

浄明師は宝暦7年68歳で没している。