「若不生者の誓いゆえ」

昔、本典を読んで、無力を感じたことがある。


引用されている経典をすべて読もう。
でも、難しすぎて理解できない。
漢文も勉強しなくては。
・・・・
と、全ての本を読み、出来事を理解しようとした。

やってみてすぐに気がついたのだが、そんなことは到底できない。
ずいぶん長いことそう思っていたけど、
不思議なことに何かに触れて少しずつ明らかになってゆく。
それは悦びであり、導きである。

学仏大悲心

仏の悲しみの心
子を思う親の心と同じ
48願は全て私のため

 十方諸有の衆生は 阿弥陀至徳のみ名をきき
  真実信心いたりなば おほきに所聞を慶喜せん

 若不生者のちかひゆえ 信楽まことにときいたり
  一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ

名畑応順師の補注から

「真実信心は阿弥陀至徳の名号を聞くところに得られる信心であって、
 虚偽を離れた如来の真実が行者に現われた、他力廻向の信心である。
 随って聞と信とは同義である。慶喜は聞信に具わる喜びであり、
 正定聚に住する者の喜びである。」

「名号を聞信して慶喜するものが、即時に往生の定まることを述べる。
 本願の真実を深く信じて疑わない信楽の得られる時節の到来するのは、
 第18願に衆生若し往生せずば、われも正覚を取らじ
 という誓いがあるからであり、信の一念に具わる喜びを得る人が、
 必然的に往生が定まるのも、まさしくこの若し生まれずばの誓約が成就したからである。」