モズのカラの巣と「聞名」

モズの雛が成長するのを楽しみにしていた
ところがどういうわけか親鳥が来なくなり、ついに巣を覗いてみたら雛が居なかった
がっくりきてしまった
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あまりにも低い所だったので、襲われたのだろうか
それとも・・・
いろいろ考えるが現場を見ていたわけではないので何ともわからない
 
 
「聞治」という言葉がある
「対治」と「同治」に続く言葉として、藤田徹文師があげていた
「対治」は肉体の傷を治すことで、向かい合うことからきている
「同治」は精神の病を癒すことで、同じ立場に立つことからきている
「聞治」は難治の機が対象で、仏の治療をいう
 
だから聞くしかない
聞くとは仏の声を聞くこと
 
「聞く」ことについて
「人は他者の記憶の中でしか死ぬことが出来ない」西江雅之
つまり、聞名ということ
 
「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、
一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。」
親鸞さんは十声一声の一声を聞と強調された
 
「信にまた二種あり。一つには聞より生ず、二つには思より生ず。
この人の信心、聞よりして生じて、思より生ぜず
このゆゑに名づけて信不具足とす。
また二種あり。一つには道ありと信ず、二つには得者を信ず。
この人の信心、ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。
これを名づけて信不具足とす」
ただ聞くだけではだめで、よく考えなければいけない
 
「欣求浄刹の道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を離るべきなり。」
 
その聞不具足とは、
「いかなるをか名づけて聞不具足とする。
如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じていまだ六部を信ぜず、このゆゑに名づけて聞不具足とす。
またこの六部の経を受持すといへども、読誦にあたはずして他のために解説すれば、利益するところなけん
このゆゑに名づけて聞不具足とす。
またこの六部の経を受けをはりて、論議のためのゆゑに、勝他のためのゆゑに、利養のためのゆゑに、諸有のためのゆゑに、持読誦説せん。このゆゑに名づけて聞不具足とす」
 
解説することも含んでいる
そして、
「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。