【72】 まことに知んぬ、徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明
の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁和合すべしといへど
も、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これす
なはち内因とす。光明名の父母、これすなはち外縁とす。内外の因縁和
合して報土の真身を得証す。ゆゑに宗師(善導)は、「光明名号をもつて
十方を摂化したまふ、ただ信心をして求念せしむ」(礼讃)とのたまへり。
(散善義)といへるをや、知るべしと。
いよいよ、観経疏に取り組む。
とっかかりとして上の御文を取り上げる。
この行巻でやった「両重因縁」は序分義に出てくる。
この文章を親鸞さんはどう読んだのだろうか。
そう思って、読んでいると、
続きで、釈尊の「飢餓の時のエピソード」が出てくる。
これがとても印象深い。
釈尊が托鉢に出て食べ物を得ようと思っても得られない飢饉の時があった。
それを見たある比丘が自分の衣を売って食を買い、
釈尊に食べさせようとする。
釈尊はそれを断り、汝の父母に食べさせよと命じる。
そして、父母は仏を信ずる心があるか聞く。
比丘は無いと答える。
釈尊は、
「父母は汝の食を与えるを見て大いに喜び、信心を起こすだろう。
その時、教えて三帰依を受けさせよ。
それがこの食を本当に食することだ。」
と語られる。
安方師が語っていた。
よく「食べ物をいただくのではない。生き物をいただくのだ。」
と言われるけど、あれは生き物を殺しても良いということを教えることにならないか。
仏法では、生き物を殺すと地獄に落ちると教える。
それはどうなったんでしょうね。