大原騒動と浄明師のこと

先日学級づくりサークルで、友人が書いた大原騒動の「夢物語」と「夏蟲記」の全文解読の本を購入した。308頁にも及ぶ労作だ。

全てを読む気力はもとよりない。大原騒動全体をつかむことはムリだと思う。
そもそも郡上一揆の関連の資料もあるのだけど、まだ読んでいない。
でも、大原騒動については、昔からつながりがある。

1つは上木屋甚平衛とその息子三島勘左衛門に興味があって、そのつながり。
もう一つは、昨年尋ねた古川の円光寺で聞いた浄明師の話。その折りに頂いた「円光寺五百年史」もその部分だけ読んだ。

これは大原騒動の時に円光寺の住職が本山から異安心と判談され、本山に蟄居させられたことがあり、この法義についての法論は飛騨一円の真宗寺院門徒を巻き込み、三業惑乱に匹敵するぐらいの争論となった。

この争論とかねて疑問に思っていた大原騒動との関連については、この「夢と夏」に書いてあったので記録しておく。

そもそも、大原騒動でこの法義と異安心問題がなぜつながるのか。
浄明師の教えは飛騨一円はおろか、美濃、尾張三河、越前、そして郡上石徹白にも及んでいる。学識深く夢にも夏蟲にもとり上げられ紹介されている。
その教えについてもっと知りたいのだけど、いかんせん資料がない。本山にとり上げられたからだ。ただ、「五百年史」には「同行は鏡なり」という文章を紹介してあり、成程その通りだと納得させられる。

さて、この法義論争と騒動の関連について夢はこう記す。

「このたび江戸表において御評定ありけるは、飛州百姓ども騒動の体を考えるに、一向公儀を恐れざる振り合いなり。上を恐れざるは死を恐れざるいわれなり。死を恐れざる根元というは、一国ことごとく一向宗にて、一途の宗門なる故なるべし。・・・・
その不正義は切支丹同様死をもいとわざると見えたり。このたび一国騒動もこのいわれなるべし。ならざりにはさし置きがたし。」

と書いてある。(島原の乱が幕府に与えた影響は想像以上に大きかった)
もう一つ、問題にされたのが「隠し寄り」。隠れて相談をしていたのではないかと詮議されたことを夏蟲には詳しく書いてある。いずれも法義話をしていたにすぎないと語っている。

「・・・六人同行仲間にて、折節寄合い法義相続つかまつり候事御座候。総じて本願寺門徒は御寄りと申して、時々同行中寄り合い法義の話を致し、互いに信心を磨き合い候事に御座候。・・・」

このように法義を深めていたのだと感心する。
宗教と一揆との関係について、真宗の寺院同士の争いを利用されたとも考えられるけど、郡上一揆の石徹白騒動でも、白川神道吉田神道との関連ととてもよく似ている。

五百年史の執筆者後藤新八郎氏のまとめを記しておく。

「表向きは正義・不正義で、地元も、本山も、幕府も、処罰をもって事件に臨んでいるが、裏面は地元の寺同志は檀家の奪い合いであり、本山は自己の宗旨に固執し、進歩ある教義は弾圧するし、百姓一揆に手をやく幕府及び地元代官は、その原因を宗教のせいにして、政治の腐敗の浄化を忘れている。末法の世相でしかなかった。」

と記している。まったく。