「近世中期における在地仏教」飛騨安永法論と円光寺浄明

円光寺浄明師のことがもっと知りたくて、検索していたら、「日本宗教文化史研究」という日本宗教文化史学会の機関紙を発見。

一冊2200円だったので、二冊注文。昨日、代引きで届いて5140円支払った。
論文を一つ読むだけだけど、買ってよかったと思った。


表題の論文の著者は三嶋信氏(高山市郷土民俗館学芸員)。
読みごたえがあり、私が持っていた疑問にほぼ応えるものだった。
僧鎔の批判が本質を突いていないこともわかった。


浄明師の信心の特質は、
(1)己の罪悪の自覚(機の深信) (2)同行を鏡となす
を本質とする。師はこのことを学林で学んだよりは、諸国を流浪し念仏の教えを味わい深めた祖父や父から学び、また同行から学んでいることが書かれていた。

(2)に対する僧鎔の批判は権威主義的であり、(1)への批判(本願信受の疑)は、「疑いを持ってしまうのが自分であると認めざるを得ない」ということを読み間違ったもの。

ただ、三嶋氏はこの論争を後の三業惑乱の先駆けと位置付けているけど、むしろそれよりも在地の仏教がどのように民の中に広まっていったのかの方が魅力的だった。だからこそ三嶋氏が言われるように、浄明師の教えに民衆がひきつけられた理由こそが、私たちや教団が学ばなければいけないことなのだ。

 

大原騒動の旅もかなり見通しが良くなってきた。