昨日、組の仏教壮年会の旅行で木辺の錦織寺と延暦寺の根本中堂に参拝した。
本当は9月17日に行く予定だったけど、台風のため延期になっていた。
その台風の影響で、
琵琶湖畔の松が倒れていたり、錦織寺の金箔が浮き上がっていたり、
延暦寺の杉が折れていた。
錦織寺は木辺派のご本山。
これで私自身は真宗10派のうち5本山を参拝したことになる。
錦織寺で学んだことは、存覚上人の存在である。
寺伝に伝わるお話は、親鸞聖人正明伝で読んだような気がする。
さらに「満足の御影」は御本典の真仏土巻と化身土巻をここで完成され
歓ばれたお姿を真正面で描かれたという。
存覚上人の六要鈔の写しもここに残っているという。
六要鈔は存覚上人が書かれた御本典の一番最初の解説書。
親鸞さんが伝えた田植え歌が今も歌われているという。
五劫思惟の苗代に
兆載永劫の代をなし
一念帰命の種をまき
自力雑行の草をとり
念々相続の水流し
往生の秋になりぬれば
黄金の実とは嬉しけれ
ああもったいなやありがたや
これを歌いながら今に伝えている所がすごい。
延暦寺ではボランティアの方の案内で参拝した。
そこで教えた頂いたこと
・延暦寺の東塔は法要の場、西塔は修行の場、横川は学問の場
・東塔の根本中堂のご本尊は薬師如来
と疑問が浮かぶ。
中堂の中で堂僧の方から教えていただいた。
そもそも延暦寺は国家安泰を願う国立寺院。
そうなると東方と西方、常行三昧堂と法華堂、止観業と遮那業、・・・
というような対比が至る所に配置されていることに気がつく。
「一隅を照らすものは国宝なり」
という最澄大師のお言葉も、学問と修行とセレモニーとが合体した総合的な
学びの場としての叡山の位置づけの基本原理(精神)なのだろう。
対比のついでに
という二つの基本原理の違いが「念仏門」と「法華門」を
「常坐三昧」と「千日回峰」などの修行の方法の違いが「禅門」と「修験門」
を生み出したのだろう。
いろいろな発展を含んだ叡山ということがおぼろげながら浮かんできた旅だった。
参考