昨夜、28年前の教え子の同窓会があった。
懐かしい人と出会えた。
朝に道を聞いて、夕べに死すとも可なり。
いつも学ばされることばかりである。
それぞれの歩んできた人生の重みが語るものは大きい。
つくづく思う。
リスペクトできる教え子と出会えることこそ、
この仕事を選んできたものの一番の幸せではないかと。
いろいろな経験と体験を聞くのは本当に楽しかった。
自分が経験してきた絶望の道を、自分自身が乗り越える過程で学んだことを、
今度は子どもたちに、決して押し付けるのではなく経験させている。
そして、子どもたちの心に楽しさを生み出し、さらに楽しさを求める心を育てている。
そして、その経験を通じて自身も常に学んでいる。
地域の中で周りから頼りにされながら生きている。
友人をしかり、支え、励ましている。
自分自身の楽しみを見つけている。
そして、双方向のコミュニケーションをしっかりと身に着けている。
そこには常に学びが存在している。
ふと、どのような経験がこういうリスペクトできる人たちを育てたのだろうかと考える。
彼らの学校時代はいわゆる荒れていた。
でも、その荒れは苦しいものではなかった。
今思うと、楽しい経験だった。
八幡の枡形地蔵の両脇に名号と題目の碑が建っている。
通るたびに面白いなあと思っていた。
横に、こうなったわけが書いてある。
もともと別々に建っていたものを一か所に集めたという。
それが人間の社会の相(すがた)なのだろう。
地蔵さんを間に入れての三対の構造が中空の構造で、日本的だと言う。日本的弁証法といってもいいかな。
