池田勇諦師の法話

紹介していただいた池田勇諦師の法話
酒で呆けてしまった私に、新春の爽やかな法を届けてくださったことは、如来からの本願力廻向。
 
来生の開覚は他力浄土の宗旨。信心決定の通故なり。  (歎異抄
この通故は、「道なるが故に」と読む。
 
(1)かの国に生まれんと願ずれば、
(2)すなはち往生を得、
(3)不退転に住せん。   (本願成就文)
 
「即得往生」は、信心をうればすなはち往生すといふ、
すなはち往生すというふは不退転に住するをいふ、
不退転に住すといふはすなはち正定聚の位に定まるとのたまう御のりなり。
これを「即得往生」とは申すなり。  (唯信鈔文意)
 
往生とは到達点ではなく、大道を往くことである。
人生の白道を念仏とともに歩んでいくことである。
その道を往くことは、まさに「横超断四流」である。
 
断といふは、往相の一心を発起するがゆえに、
生としてまさに受くべき生なし。
趣としてまた到るべき趣なし。
すでに六趣、四生、因忘じ果滅す。
ゆえにすなはち頓に三有の生死を断絶す。 (信巻)
 
往生は現生だとか死後だとかというのは、二分法にとらわれている。
往生は、往きて生まれる
往生は、往きながら生きる
願生し、得生し、往生する。