山林斗藪(とそう)の苦行

昨日はいつもの通院。
血液検査をしたら数値があがっているのがあり、頻尿の原因がわかった。
体調の変化を記録しておかないと、診察の時に言うことを忘れてしまい、いつも「変わりません」と答えてしまう。実際に変化しているのに。

思ったほど雪は積もっていない。この分なら雪下ろしはしなくても大丈夫だろう。
除雪機を動かしたら、バッテリーがあがっていたので車のバッテリーとつないだら動いた。そう言えば昨年はあまり動かさなかったと思い出した。

「宗教の日本史」本郷和人著を買う。
「続白山信仰研究」高橋教雄著を借りる。
後者の中に小駄良街道の重要性が出てくる。
白鳥の向小駄良は小駄良街道の向かいだったからと高橋先生から聞いた。
それで江戸時代の郡上の街道の地図がないか調べてコピーをした。
山岳修験から真宗へと移行する過程も説明してあって、よく理解できた。

修験の大事さは今まで学んできた通りだが、郡上の寺は長龍寺天台宗修験の坊であり、それが一斉に一向宗に転宗したのはなぜかということも納得した。
修験の修行を斗藪(とそう)という。藪(=煩悩)を刈って進むイメージだろうか

「山林斗藪の苦行、樹下石上の生臥、これみな一機一縁の方便、権者権門の難行なり」(改邪鈔)
この斗藪という言葉を知って、伝絵に山伏の弁円が出てくるわけがやっとわかった。

この難行を代わりにしてくれる山伏や修験者は、それまで忌み嫌われていた死(穢れ)を引き受け、里の人々の心身のケアにあたっていたのだ。

さらに、前者には、廃仏毀釈は明治政府の命令ではなく現地の大名や知事が行ったと書いてあった。確かに政府は神と仏を分離せよと言っているだけだが、現地が暴走したのだ。