指月の喩え

昨日考えたモデルは応用が効くんだろうかと確かめてみた。
ちょうど新聞に名大の入試問題が書いてあったのでやってみることにした。
もちろん問題自体が理解できる簡単な問題だけを。
第一問目をやったら時間はかかったけど何とか解けた。

今日はプチ法話会。
参加者は6名。
教え子が来てくれた。
彼女の大変な経歴を聞いて驚いてしまった。

法話の方は内容がエピソードよりも理論的で難しいなと思ったけど
つい夢中になって話してしまった。
「ことば」の働きについて
これは良い面ばかりではない。
ただ、私たちは真実そのものを見ることはできないので、言葉で見たり考えたりしている。だから、真実を「指し示す指」の役目がことばだ。
すると「月を指し示すことばでは本当の月は見えないのではないか」と批判された。
これに見事に応えたのが曇鸞大師。
大師は月を指し示すことば自体がちからを持つのだと。
それが名号・念仏。
そして親鸞さんは念仏だけがまことであると言い切られる。

指月の譬  ( 言葉「 指」と真実「 月」)

量子力学の話(ユーチューブで)を聞いていたら面白い類似に気がついた。
量子力学を私たちの感覚で理解することはできない。
だけど数式に入れるとちゃんと答えが出てくる。
計算して予言したり、結果を出すことはできるのに、
その本当の姿は見る(理解する)ことができないという。
つまり、真実なのは数式(シュレーディンガー方程式)であって、それのみ
ということだ。数式はことばである。
これは上の「名号だけが真実」ということとよく似ている。