「わくわく図書館」はコモンだ!

熱も下がり、朝は喉が痛かったけど、午後からは普通に声が出るようになった。

わくわく図書館で『コモンの「自治」論』の最終章を読んだ。
ここの所、理解するためにメモや図にすることをさらに進めて、再編集をするという試みをしている。⇨(足利時代の鷲見氏軍忠状の位置づけ (PDFファイル)
そうしないと分からないからだけど、書くという行為が論文や著書への働きかけであり、揺さぶりだということだ。だから単なるコピペではない。

で、第七章『「自治」の力を耕す、〈コモン〉の現場』だけど、これを
私たちへの痛切な批判と取るか、②私たち自身が持っているコモンの自覚へと至るかで読みが大きく分かれる。
 というのは、斎藤さんは、資本による「魂の包摂」が私たちをからめとり、コスパ思考に陥って私的な利益だけを考え、公共的な関心が失われていく。そしてこのコスパ思考によって、私たちは政治の力を使って「上から」制度や政策を変えさせれば社会は変わると単純に発想してしまう。でも、それでは「自治のちから」はますます奪われる。
 そして、社会運動の一つであるNPOも「行政の下請け化」となっていき、公共サービスのアウトソーシング化を助長している。そもそも制度や政策をいじっただけでは社会問題は解決しない。労働法や政治資金規正法は現場でどのように運用していくのかという現場の力が問われている。つまり、「自治するちから」が無いことには法律も絵にかいた餅なのだ。
 こう言われると「資本による魂の包摂」にからめとられている私達への痛切な批判①と感じてしまう。それは大事なことだけど、この時に批判から目をそらすという態度もとることができる。大事なことは私たちの周りにある②「コモンの自覚」であり、それを大切にしていくことなのだ。

 さて、書いているときりがなく疲れてきた。図にするのか一番わかり易いので、議論の中で出てきた「斜め」の関係を示してみる。

自治のちから」:要は当事者だということに気がつくことと主体性を発揮すること
具体的には次のようなコト
①専門家の知識(必要な専門家を見つけること)
②構想力(夢を持つこと)
③実行力(ちょっと・いろいろやってみること)
組織力(呼びかけること)
⑤戦略を立てる(政治家が行うのではなく、大衆が立てる)
⑥戦術を考える(むしろ政治家が行う)
⑦管理能力(ITも利用する)
⑧絶えざる創造(常に新しいコトやモノを生み出すこと、制度やスステムも)

これを見ると、史記漢帝国の草創をイメージしてしまう。