1月のわくわく図書館

「武器としての市民科学を」木村あや を読んだ。
一回読んだだけでは分からない。二回読んだらとてもよくわかった。
そして、このような学びは応用が利く。参加している人たちは自分の活動にどんな応用が利くのか考えながら学んでいる。
「市民の不安をなぜ揶揄するような風潮が出てくるのか」という問題も話し合った。
国立博物館クラウドファウンディング」についてどう考えるかと聞いたらなるほどと感じた。「市民は支えたいと思っているけど、本来は政府の仕事です」

まとめると

  1. 科学も公共財(コモン)であると認め、きちんと助成すること。
  2. 新自由主義の論理に包摂されないために、市民科学は公的なモニタリングの代替をしてはいけない。
  3. 市民科学を「社会運動のレパートリー」の一つとして位置づける。自制的アクションと攪乱的アクションを組み合わせること。
  4. 市民科学は、科学的リテラシー、政治的リテラシー、歴史的リテラシー、文化的リテラシーも高める。より広くとらえると運動が広がる。鯉のぼりの例。
  5. 「市民科学はデータを増やす」数値だけでなくナラティブも質的なデータ
  6. データを取ることを目的にしない。それよりも前に運動があり訴えたいテーマがある。「自治」の道具の一つとして市民科学を使う。
  7. データをとるという行為は大勢の人が関わる場所づくりにもつながる。祭りはコミュニティ意識を醸成し、個人的な記憶を集団的な理解へと変え私でも公でもない中間的な空間をつくり、周囲に見てもらう共同の企て。

以上7点。

特に4について、
 社会運動では活発なグループは、映画の上映会、講演会、座談会などを開催し、放射能汚染の度合いを測るだけでなく、原発がなぜ日本にあるのか、なぜ一定地域に集中しているのか、ウラン鉱山での採掘から廃棄物の最終処理、廃炉まで考えるとどんな環境不正義があるのか、世界ではどうなっているのかと学びが広がっていく取り組みをしている。