科学における「正しい事実」は、

いろいろありすぎて時間が足りない。
いつもは相手がいないから一杯書きまくるのだけど、いろいろ喋りまくっている。

人間の老いるという悲しみはどう考えればいいのだろうか。
出来たことができなくなる悲しみはどうしたらいいのだろうか。
出来たと喜ぶ孫の喜びと、出来なくなったと悲しむ母の悲しみは同じではないか。
それは器としての私にやってきたものだから。

 「エモい」って他力?  ( 左右、前後、与格構文の話・PDFファイル)


山口裕之氏の本をずっと読んでいる。
理解が遅いのといろいろ確かめながら読んでいるので時間がかかる。
さらに、友人から『子どもたちに「AIリテラシー」を身に付けさせるためにはどうしたらいいのか』という課題もいただいている。
前から気になっていることなので、合わせて課題としたい。

先日は技術と数学の関係を記述したけど、さらに進むと次の命題が出てくる。

科学における「正しい事実」は、人間がある対象を思い通りに動かすことができる「技術」と表裏一体のものとして発明される

私の場合はGeoGebraという技術を思い通りに動かすことによって、図形の性質(ある定理)を発明しているということだ。
GeoGebraと出会って、一気に図形の性質を見つけたり、証明することができるようになった。それが不思議だったけど、こうやって説明されると納得できる。

このGeoGebraを数学教育に使えば効果を発揮するということを兼ねてから期待していたけど、その前提と理由が見えだした。

幾何学は点や線が具体的に何なのかを無視して、その関係のみを扱うという観点から図形について研究します。図形をそのような観点で見ることには図形の側に必然性があるわけではありません。人間の側の欲求や関心からそのように見るのです。
 こうして、人間の側の欲求や関心によって幾何学という「意味の場」が開かれます。そして、図形の運動がどのような法則に従っているのか、仮説を思いつきます。仮説はそれまでの理論体系や論理にもとづいて立てられますが、論理によって必然的に導きだされるものではなく、仮説を思いつくことは独創的な飛躍です
 しかし、仮説を思いついただけでは、それが「正しい」ということにはなりません。どのような仮説を思いつくかは「ひとそれぞれ」かもしれませんが、そうした思いつきが正しいかどうかはまた別のことです。』

①欲求や関心から「意味の場」が開かれる。
②GeoGebraの操作で仮説を思いつく(創造的な思いつきによって真に開かれる)。
③それが他の人にも納得され共有されることで「正しい事実」が作られていく。
④そこに共同の場が立ち上がり、共に「正しい事実」を作り上げる可能性が開かれる。

本の文章を例によって置き換えてみた。

このことは数学だけではなく、その他の科学分野においても言える。
『人間は物をいつでも同じように扱う方法を工夫し、その工夫を他の人と共有することで、「より正しい正しさ」へ向けて合意を作っていくのです。』

 

筑摩書房 「みんな違ってみんないい」のか?
           ─相対主義と普遍主義の問題


「みんな違ってみんないい」のか? 山口 裕之(著/文) - 筑摩書房