山口裕之氏の考えに引かれている。
私が今まで感じてきたことを見事に言葉化されているからだ。
こうやって言葉にされて論理的に文章化されること自体が「人それぞれの体験がなぜ理解可能なのか」という問いの答えになっている。
①私たちが世界についての理解を共有できているのは、「知覚が共有されている」という条件が成り立っていると考えるほかない。
②「私が知ることができるのは私の意識に現れたものだけ」というのは論理的に考えて真理。
③それゆえ「私が知覚しているもの」と「他人が知覚しているもの」が同じであることは、論理的には保証されない。
つまり、論理的に考えると「究極の人それぞれ」になるはずなのに、どうして現実にはそうなっていないか。
私と他人の間には、論理的に考えれば越えられないはずの溝がある。にもかかわらず、私たちは現実にその溝を飛び越えてしまっている。
④その飛び越えを可能にするのが「人間の創造性(新たな理解や解釈を作り出す力)」だ。
この創造性は言語においては、「声を出す」ということから始まる。
子どもたちの言語獲得の過程はまさに創造だと感じる。
詩や歌はこの「飛び越え」を可能にしている創造なのだと思う。
1+1が2ということに気がついた子どもは飛び越えている。
子どもの描く線画が理解可能なのは、お互いの創造性が発揮され、新たな「意味の場」が立ち上がるからだ。
こうやって様々なコトを見直しながら理解していくことができるのも、お互いの創造性(経験と感情と出会い)によって新たな「意味の場」が現われて来るからだろう。
この「意味の場」は、例えば物理学のような認識の体系として現れる。
山口さんはこの「意味の場である物理学」を次のようにとらえる。
物理学は論理的・普遍的でありながら、歴史的・一回的なものでもある。
ものごとを論理的に説明すれば、誰しも納得します。
その意味で、論理は必然です。しかし、ものごとにどのような論理を当てはめればうまく説明できるのかは必然的に明らかなことではありません。それゆえ、どのような論理を当てはめるべきなのかを把握するためには、論理の必然的な流れを飛び越える、創造的な思いつきが必要です。その意味で、論理は偶然なのです。
ここで創造性が一気に飛躍する。
「その論理に出会うことは偶然」つまりセレンデピティということだと思う。
ここから二次方程式を例に挙げての説明となる。
この例は以前述べたので、私の受け取り方だけ述べると、確かに誰かが二次方程式の公式を見つけなければ私たちには使うことができなかった。そして、こういう発見は偶然であり、まさに発明されたものということが納得できる。
そして、その発明(論理の発見)により二次方程式を解くという意味の場が生まれ、共通の理解が生まれる。だけど論理的な必然性があるわけではないので、テストの時に間違えたり、わからなかったりする。
この論法では「発見」=「発明」となる。
「車が発明される」のも「二次方程式の解の公式が発見される」のも同じ現象なのだ。
そしてさらに論理は進む。
このように発明されるのは技術が進み、人間の欲求を満たすために機械(技術)が発明されるからだが、その技術は個々人の欲求や意図を離れ、技術自体が次の発明を求めるようになる。つまり、技術が勝手に発展する。(技術体系の自律化)
もちろんそれは技術者や科学者のコミュニティの中で行われ、共同で問題に取り組む。
そうすると、「科学技術が自らの発展のために人間を利用している」ように感じる。
「宇宙が自分自身を明らかにするために人間を生み出した」ように感じる。
でも、物理学にしろ、植物学にしろ、数学にしろ、心理学にしろ、経済学にしろ、それらの領域が開かれたことに必然的な根拠はなく、人間の欲求や関心に即してだった。
そして、
「意味の場」を開くのは人間の欲求や関心の持ち方、つまりは人と物とのかかわり方だ。
科学における「正しい事実」は、人間がある対象を思い通りに動かすことができる「技術」と表裏一体のものとして発明される。
これはGeoGebraを考えるととてもよく当てはまる。
だからこそ、なるべく暴力をなくして、「より正しい正しさ」を作っていくように努力することが正しい。
ここから「正しい事実」を知るための具体的な技術が述べられるが、私の関心「わかるとは何か」という文脈から見るとさらに深まるような気がする。
発見と発明の違いは? | 発明楽 - 鳥取大学医学部
「コロンブスはアメリカ大陸を発見した」と本当に言えるのだろうか?
「知らなかったことを知った」と言ってもいいのではないだろうか。
人類を主語にすれば、既にアメリカ大陸を発見した人がいたのだから。
数学嫌いこそ読んでほしい!
フィールズ賞を受賞した4人の数学者のインタビュー - ナゾロジー (nazology.net)
「数学の発見の起き方」が示されている。
・アイディアというものは「集団で出てくるもの」
・「問題の解決法は向こうから私のところにやって来てくれる」
・教えるということは、自分がわかっていると思っていたことを見直す機会になる
・「書いて整理しないと頭の中がゴミだらけになる」