報恩講

無事終えることができた。
じんだもとてもおいしかった。
5杯もお代わりをした。

お手伝いの方たちのおかげである。
しかし、お参りは少なく、最初2名だけだった。
お手伝いの方が「お参りしよう」と促されたおかげで法話にはそろったけど
一桁だった。

今までお参りされていた方が亡くなったり、施設に入られたりでだんだん少なくなる。
今年は同じ地区の寺院も同じ日に報恩講で、さらに小学生や中学生の行事が重なった。
かってはお斎のときは子どもたちで一杯だった。

こうやって見ると寂しい限り。
でも、じんだとたかたかまんまだけはできる限り続けていこうと願っている。
それがこの地域で生きるということだと思う。
一人ではなんにもできない。
地域の方たちのおかげでやっていけるということを自覚しながら。