念仏と生活

大雨で川の流れが濁流となっている。
買い物の途中の橋の上に立つと怖いくらいだ。
じっと眺めていると、流れが一様ではなく、渦を巻いているところもあり、それぞれ方向が決まっている。

深川倫雄和上の法話を初めて聞いた。
その論理は極めて明快。

自分の煩悩を語るんじゃなく仏様を語れ。
どうしようもないこの極重悪人を仏は救おうとされている。
五劫もかけて思惟され。それほど
私は尊いのか。

和上は「生活信条」も逆だと言われる。
理屈が急ぎ過ぎていると。
新しい領解文を考えるヒントとなる。

だんごの話は響く。
如来様は金串、わしら衆生は芋団子。救おうと思えど転げ落ちる、救おうと思えど転げ落ちる。

名号一つの図は見事だと感じる。
信心獲得すといふは第十八の願をこころうるなり。この願をこころうるといふは、(     )をこころうるなり。・・・
生き方は末、本は五劫思惟の四十八願。それは本願に収まり、本願は念仏となる。

 

この怠け者の私が、いつの間にやら仏を好きになる。
すきになればマネをしたくなる。
如来様のようになりたいと願うようになる。

念仏は仏が私を呼ぶ声。
私が仏を呼ぶ声。
何も用事は無いけれど、何か呼びたいお母さん。

 

 

ところで困ったコスパの例。
「なに?」を「た」で済ますという。(ナニ)
何をかいわんや!