シニアクラブと五劫思惟の宝蔵菩薩

向小駄良の「あけぼの会」が「シニアクラブ」と名称を変更したと聞く。
以前新聞で鶺鴒がひごに巣を作っているという記事を読んだと話したら、あの雛は巣立ったけど、又親鳥が来て卵を産んでいると語られた。同じ親鳥なのかしらと。
このシニアクラブは女性が多いけど何だか若々しいので70代ぐらいかなと思っていたら80代の方がほとんどだと言われる。

仕事・子ども・家族・趣味・名声・健康・学問・宗教・友人・・・
と私のまわりにあるものがだんだん消えていく。
この悲しみをどう考えたらいいのだろうか。
玉ねぎのような私、最後に残るのは仏との関係だけ。
そして「できる」という事の意味。
できるようになった喜びとできんようになった悲しみ。
「器としての私」=「一形」の喩えを話した後、「後出しじゃんけん」をやる。

今回は後出しじゃんけんを右手と左手でそれぞれ行った。
負けるのが難しいので失敗すると笑いまくった。

私は関係性の中で立現われてくる。

法蔵菩薩のこんな像があることを知った。
髪の毛の多い五劫思惟佛は知っていたけど、この像は全く異なる。
全ての人を救おうとされた五劫思惟の法蔵菩薩の御苦労を表現したものだ。
この私を何とか救おうと考えておられるお姿を思うと、
「五劫思惟之摂受」と泣かれるのもさりなん。

五劫思惟の姿についてこんな論争もあったことも知った。

五劫思惟の法蔵菩薩(阿弥陀如来)像(砺波市増山淨蓮寺蔵)

『法蔵菩薩・五劫思惟像』について