数学に取り組むことは禅定と同じ?

あれからIMO2004の第一問を毎日考えている。
こういう図形の問題に取り組むことは、禅定と同じことだと感じる。
最初に問題自体を自分のものにする。
問題が目の前に無くても頭に浮かぶようになったらようやく考えることができる。
次にいろいろな仮説が浮かんでくる。それをしらみつぶしに確かめる。
だいたい1時間ぐらい考えるとぼーっとしてくるので次の日に回す。

八日前の問題がここまで変化してきたが、まだ解けない。
循環論法に陥っている。でどこに本質があるのか。Bを動かすと何が分かるか。
どうやらここに本質がありそう。(この点はGeoGebraのおかげ)

1月31日にやっと証明ができた。
唯識成所作智(前五識で働く。対象と一体になって働きかけていく智慧)と
妙観察智(第六識で働く。観察対象の本質を見定める智慧)の通りにやってみた。
瞬時ではなく11日かかったけど。
下図は25番目のもので、本質でない所をどんどん消していったもの。
末那識で働く平等性智阿頼耶識で働く大円鏡智ははるか彼方。

いつものことだけど証明が終わってみると実に単純なことだったけど、ここまで来るのにずいぶんと回り道をした。いや回り道をしなければ分からなかった。
どうやら「証明する」とは現象の多様なつながりの中から「本質(より多くのことを示せる仮説)」を見出すこと。そのためには現象を動かしてみること。動かすと「本質」が見えてくる。
最初は補助線や補助円を沢山描いていたのでかえって本質がわかりにくくなっていた。ここで必要だったのはたった一つの補助円だった。

下のナビゲーションをたどれば証明が分かる。

数学オリンピックではこれを数時間で解かなければいけない。
私には到底無理。
でも、11日かかったけどだんだん本質が見えてくる楽しさを味わえた。

問題はこれをアルファ・ジオメトリーがどうやって証明したかだ。
私がやるといろいろ試行錯誤したけど、統計的にもっと近道ができるのなら、と思ってしまう。これを調べるのは大変だな。でも、この問題を証明しようと思ったのはアルファ・ジオメトリーが証明したというからだけど・・・。