9名の参加で11月のわくわく図書館があった。
本は歎異抄。
紹介する人は真宗の僧侶二人。
私が概要と「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の善人とは何かを説明し、もう一人の方が「宗教的リテラシーとしての歎異抄」を説明した。
いろいろな意見が出てとても刺激的だった。
実は最も反論する方が最も宗教的だったりする。
刺激的な言葉をいくつか
「地獄に落ちるのではない。すでに落ちている。」
「宗教か科学か、宗教か哲学か?
私たちは社会的諸関係の総体=関係性の所産=縁起(みんな同じことだ!)
科学も哲学も宗教も問いから始まる。」
「人間は宗教的存在だから危機的状況の時には宗教が必要」
「何かを信じるというのは単純すぎる。思考停止ではないか?」
「宗教が阿片ではなく、組織が阿片である」
「この世界は仏から私一人のために与えられた」傲慢?
「歎異抄には私たちが凡夫であることを認めるおおらかさがある」
「悪人の自覚と自己肯定感のあわいは? この矛盾に悩む。」
・・・
実に面白かった。
ちなみに「わかる」とは何か?
英語では「know」「understand」「comprehend」とある。(知識を得ること)(間に立つこと)(一緒に会得すること)
これは「さとり」が個人のものではないことを示している。