報恩講の片付けと歎異抄

報恩講の後いろいろあって片付けがしっかりできなかったので、今日やった。

幕の外れているところや、中に入っている紐を縫い直していたら、午前中かかってしまった。裁縫は久しぶりである。
これで当分は大丈夫だろう。

今度「わくわく図書館」で取り上げる「歎異抄」の構想を考えてみた。
これが意外と面白い。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の「善人」をどう定義したらいいかが悩ましい。

「自分を善人だと思っている人」
「良いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が生ずると信じている人」
「仏智の不思議を信じない人」
「因果の道理を信じ、名号を無上の善根として励み称える人」

親鸞さんは「罪福を信じる人」を善人と言われたのではないだろうか。
そしてそういう人は仏の智慧を疑うという罪があるとずばりと示している。

これを心理学でいうと、私たちの「公正世界仮説」というバイアスにあたる。
このことについては前に書いた。   プチ法話会「公正世界仮説」
簡単に言えば、因果は一つではない。様々な因果が重なってこの結果が顕れたのであって、「一つのこの原因さえ失くせば」と考えることは因縁果の道理に外れる。