プチ法話会「公正世界仮説」

朝起きてトイレに座ったら尻が痛い。触るとかさぶたが二つ出来ていた。
転んだ覚えはない。どうしてだろうと不思議だった。
朝食の後、薪割りで木の台に座ったら痛みを覚え、やっと原因がわかった。
ずっと座り続けていたので、皮膚が炎症を起こしたのだ。
つまり、お尻の肉が薄くなったのだ。

午後3時からプチ法話会。
今回は松本智量師から学んだ「公正世界仮説」の話を取り上げた。
初めて聞く言葉だったので、ネットで調べてみた。

公正世界仮説とは?~この世界は公正であるという心理と理由~

公正世界仮説 - Wikipedia

これは、人間の不合理な心理状態の研究から見出された人の心理のバイアスの一つで、確かにカルトにはまる心理状態を説明できる。

メルビン・ラーナーは民衆に恐怖と苦しみを与える政体がどうやって民衆の支持を維持しているか、そして悲劇と苦しみを生むだけの社会的規範と法律を民衆はどうやって受け入れているか、という疑問に対する答え」を見出した。
以前書いたミルグラムの「アイヒマン実験」の延長拡大である。
そして、これはカルトやいじめ(迫害)にも当てはまる。

簡単に言えば、この世は「悪因悪果・善因善果」(因果応報)となるようにできているはずだという思い込みに人は陥りやすいということ。
例えば、「努力すれば必ず報われる」とか「正義は勝つ」とか「信じる者は救われる」とか「悪いことをすれば罰が当たる」とか・・・自然な考え方だ。
「良いことをすればよい結果が出る」というのは未来への肯定であり、希望も生まれ幸福感を持ち、うつ感情が減少する。
だから「世界は因果応報(公正)にできていて欲しい」という希望を持つ。

でも、人は一筋縄ではいかない。例えば、これを逆に考えてしまう。
例えば、結果として被害にあった人(例えば性被害者・いじめ迫害)はそうなる原因があったからと考えてしまう。そして、落ち度があったと被害者を責めてしまう。
そもそも原因は多様であり縁起である。ところが私たちの心は、何か一つの原因を探そうとする。そうするとすっきりするからだ。

例えば、私がこういう辛いことに(結果に)なっているのは、何か原因があるはずだと思ってしまう。原因は多様なのに、原因を一つに決めてしまう。
すると、「あなたがこういう目にあっているのはこれが原因です」と言い切られるとすっきりし、その原因さえ・・・と考えてしまう。

でも世界は単純ではない。縁起は多様であり、善因善果、悪因悪果の善悪だって私たちにはわからない。ここから親鸞さんの話に入る。
親鸞さんはこういう考え方を「罪福を信じる考え方」として否定している。

親 鸞 に お け る 信 罪 福 心 に つ い て の 研 究 - J-Stage