鏡の実験

マジックをやっていて、右と左をつい間違えてしまうことに気がついた。
自分の自覚と見ている人の左右が逆なのだ。
「私の右手は」と言うと、見ている人は、その人になって右と認識する。
ところが、「右を向いている→は」というと、見ている人は、自分の右と思う。
 
ところで、自分の姿のイメージは、普段見ている鏡の像だ。
車の運転でバックミラーを見ていると、右へ回る車は確かに右へ回っている。
この時、鏡の中の自分になると左右は逆転してしまう。
不思議なことに、鏡の中の自分の右手は右手なのだ。
つまり、私は鏡の中の自分になることはない。
だって、そうすると左右が逆転してしまうから、混乱する。
だから、鏡の中の像は本当の姿とは異なるものだ。
 
ビデオで自分の姿を見るときに戸惑うことがある。
右手を挙げると逆の手が、右に動くと左へ動く。
左右が逆転している。
と、思うのは逆で、鏡の方が逆転しているのだが。
 
そこで、写真を撮って左右を逆転させたものと比べることにした。
逆転させたもの(他の人が見ている私)は確かに違和感がある。
つまり、自分が見ている鏡の像は、人が見ている私の像とは左右が逆転しているのだ。
この違いは、どの程度大きいのだろうか?
 
鏡に写った像で最も実物と異なるのは、文字である。
対称でない文字は完全に異なる。
は全く異なる文字だ。
 
では、自分の顔は?
顔はほぼ左右対称だから、まったく異なっているのではない。
とすると、文字と同じように異なっているところがあるはず。
髪の分け方が異なっている。顔のゆがみが異なっている。
つまり、鏡で見ている像は、他の人が見ている像とは異なっているということになる。
 
自分の姿をイメージするときに、鏡に映った自分と像と、相手の人から見た自分の像は異なるとしたら、
自分自身が持っている自分のイメージは、どちらを拠り所にしているのだろうか?
相手が見ている自分をイメージする人はいないのではないかと思う。
自分の中からイメージしている。
自分を離れることは難しい。
集合写真を見ると、まず探すのは自分である。
 
この世界の左右を全て逆転させたら、私たちは気がつくのだろうか?
鏡は左右逆転するが、なぜ上下逆転しないのだろうか?