「歎異抄」の再放送

100分de名著「歎異抄」の再放送をしている。

今回聞いて、一回目と二回目が違うことに気がついた。
同じ放送なのだが、こちらが異なっているから違う様に聞こえる。

「何事も初事と思って聞くように」ということはこういうことかな。
聞く方が異なるというのは経験が異なっていることだけど、
経験が重なってくると、同じものの見え方が異なってくる。

それは自己の経験がなせることなのか、仏が指し示してくださることなのか
と言うと、当然仏が指し示してくださったのだという方がわかる。

で、その内容だけど、
如来より賜りたる信心」の所。
これを、信心を売り買いするようにとらえていたなと感じたのだ。

受け取る方はそれを理解しようとする。
理解は体験をベースにする。
今回は、信心を概念としてモノのように理解していたなと感じたのである。

近くの店に入ったら、はがきに「法語」が書いてあるのが目にとまった。
それは寺から頂いたものだという。
一枚頂いてきた。
見ると、

人生は聴聞を続けることで 広く深くなる」 冨永正信

と書いてあった。