プチ法話会

6月のプチ法話会があった。
 
今回は教育と仏法の話
「罪悪深重」と「自己肯定感」の関連について話した。
凡夫だけどかけがえのない私  ( ぼくなんか居なくても変わらない)
この問題は、ずっと前からの課題だったが、ようやく言葉にすることができるようになってきたと感じる。
 
子育てについてはみなさんが経験者だから、それぞれの体験の話も語られて、
充実した話し合いになった。
子どもを無条件で受け容れてくれる存在が大切。祖母とか、教師とか、・・・
私たちにとってはそれは仏である。
 
それぞれの体験が語られ、学ぶことが多かった。
僧侶が殺人をしたという事件のことも出てきた。
自分自身が凡夫であるという自覚は、生きる上でとても大切なことであるし、
そのことを自覚することが、聴聞の目的でもある。
 
「一生懸命に生きてきて、頑張っているのに、なぜ愚かで罪深いと言われなければならないのか」
 
聴聞を開始された方たちの、正直な気持ちである。
でも、だんだんと聴聞を重ねているうちに、自分自身のことがわかってくる。
念仏に遇うとは、そういう自分に気がつくということである。
 
そう語られた方の言葉が心に残っている。