整理整頓と吉田寅次郎の受けた教育

新年になって、やり始めたことは整理整頓。
古い資料を片づけ、必要な資料を使えるように整頓する。
たった、これだけのことなのに、3日もかけてしまった。
 
まず、透明ファイルの内容が古かったら、中身をA4の袋に入れて年月日と名前をつけて保存する。
いつもA4の書類の裏側に書いている。
書くことによって考え、書くことによって見えてくるものがあるので一枚に収める。
その書いた紙をいろいろ並べなおす。
そして、ファイルに入れたり、別の所に入れたりする。
だから、整理は肉体労働なのだ。
 
ファイルに入れているうちに、別のファイルが必要になったりする。
並べなおしているうちに、新しい発見があり、書き足すこともある。
また、ファイリングしたファイルに新しく名前を思いつくこともある。
考えることは、身体を動かし、書いたものを動かすことなのだ。
 
大きな分類はこのブログの分類に準じている。
身体を動かしながらの発見は、無意識の作動が多いと感じる。
そして、何か違和感があったり、ぴったりしていたりという感覚で動かしている。
 
 
たまたまTVで、吉田松陰が子どもの頃、叔父の玉木文之進から殴られるところをやっていた。
吉田松陰は虐待の教育を受けていたことになる。
虫が頬に止まってかゆいから掻いたら、殴られた。
かゆいから掻いたのは私のことで、己の為であって、公の為ではないというのがその理由だ。
彼が、自分を捨てて公に殉じるところはここからきているということなのだが、
違和感を感じた。
 
彼がつかんだ公というものが何であるのか、
その公と私とをどう統合させたのか。
それも興味があるが、それ以前に、厳しい、虐待といってもよいような教育を受けていたことが気になる。彼がどのようなトラウマを受けたのかが。
それ(厳しい躾)を良しとする風潮があること、そして、公を私よりも上に置く風潮に危惧を持つ。