ケプラーとピケティ

図書館で「ケプラーの憂鬱」という小説を借りてしまった。
 
16世紀末から17世紀にかけての、ケプラーの法則の発見に至るまでの苦悩が書いてある。
ケプラーの激しやすい性格は幼児の頃の虐待によるもので、彼のメランコリーの原因であると分析している。
その中で面白かったのが、遺産相続の問題で、結婚したのも妻の遺産のため。
そして、ケプラーは皇帝からの給料がいつも遅れることを愚痴り、妻の遺産で暮らしている。
 
ピケティによると、19世紀のヨーロッパでは、金持ちになるには、勉強して弁護士などの職業に就くよりも、
金持ちの娘と結婚して遺産を受け継ぐ方が良いという。
ピケティは、それをバルザックの小説を引用して説明していた。
 
遺産相続がてっとり早く金持ちになる方法であるというのは、資産が集中しているということを示している。
ピケティの資料によると、ヨーロッパの資産は偏っていたことを示しており、
第一次大戦をピークにその後減少している。
ところが、所得の方は、第二次大戦をピークとして、同様な傾向(30年ほど遅れている)を示しながらも、
最近では第二次大戦の水準まで復活し、さらにその水準を上回ろうとしている。
 
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この所得格差は、やがて資産格差に表れていくだろう。
そうすると、19世紀までの遺産目当ての結婚が増えることが予想され、
所得を増やすよりも資産を相続した方が楽であるという風潮が出てくるということになる。
 
ここでは所得格差の問題を相続の問題としてとりあげたが、そんな単純な問題ではない。