仏からの預かりもの

私たちは近代化の真っただ中にいる。
その近代化が、私たちにどのような変革を為さしめたのか
つまり、私たちをどう変えたのか
 
それを仏教からみつめてみようと考えたのが半年前。
いろいろな遍歴をし、考えはまだ大きく動いているが、少しずつ固まりつつある。
 
その足がかりが、「仏からのあずかりもの」
昨日のような無所得の考え方を現代行うとしたら、どうなるのだろう。
これはまだ自信がない。
でも、それを実践している人はいる。
私はどのような行をしたらいいのか
お金に関しては、まだ距離を測りかねている。
 
しかし、子どもに関しては(教育は)ほぼ大丈夫だと思う。
寺も仏からの預かりもの
これはほぼ納得できる。
 
もちろん土地も家も預かりもの
でも、税金は払わなくてはならない
仏からの預かりものなのになぜ税金を払わなければならないのか
ここで行き詰まるのだ
世俗の生活は流されてしまって大変なのだ
 
アーミッシュの人々の裁判闘争の重要さがようやくわかる。
門徒とアーミッシュ  ( 宗教的共同体の文化と信心の相続)
ここまでの覚悟があるのか
そう問われているような気がする