仏教壮年会聞法のつどい

組の仏壮で先月から行われている。
今回2回目。
参加者は8名。そのうち僧侶が5名。
座談会形式で進めた。

近況報告がなかなか面白かった。
それぞれ違っているし、同じところもある。

今回のテーマは「家庭におけるごがわく(業がわく)

『仏に遇うということ』の「4+1=?」には平和な家庭の日常の祖母の語りが述べられている。
こういう住職と門徒との関係はうらやましくもある。
そして、このおばあさんの愚痴はちゃんと物語になっている。
こいう自分の感情をありのまま語れることは昔の「綴り方」を思い起こす。

嫁と姑の対話も面白い。
現代ではそもそもこんな対話は成り立たない。
そもそもこういうストーリーを語る中に仏に照らされた暮らしがあるのだろうという意見が出た。まさにその通りだと思う。

仏の真実と私たちの不実の「あわい」に、私たちの暮らしがある。

社会的罪悪感→道徳的罪悪感→宗教的罪悪感の違いも説明していただいた。

もう一つ大事な問いがあった。
全ての人の喜びを我が喜びと考え、全ての人の悲しみを我が悲しみと考える仏の慈悲を、不実な私たちがなぜ真実だと認めることができるのか?
これはある意味面白い問いだと思う。