諸仏称名の願 浄土真実の行選択本願の行この行は大悲の願より出でたり。・・・亦往相廻向の願と名づくべし。亦選択称名の願と名づくべきなり。
「なぜ、諸仏が称讃することが往相廻向の願なのか」ということは
誰もが思う疑問だろう。
なぜ17願が往相廻向の願なのか
なぜ選択称名の願なのか
この問いが、行巻を読み解くキーワードになる。
そして、その問いは、
この後に続く絶妙の順で並べられている引文によって明らかになる。
特に。
善導大師の「本願加減の文」が大阿弥陀経(二十四願経)から出てきている
ことがやっとわかった。
「我が名を聞かしめて、汝を迎えん」と仏は願ったのだ。
しかるに称名憶念することあれども、
無明なほ存して所願を満てざるはいかんとならば、
実のごとく修行せざると、名義と相応せざるによるがゆゑなり。
いかんが不如実修行と名義と相応せざるとする。
いはく、如来はこれ実相の身なり、これ物のための身なりと知らざるなり。
講座の音源を何度も聞いて、行巻を読み直している。