長瀧白山神社の延年でも、山伏(修験者)はなくてはならない存在だった。
昨年来「修験道」について興味を持って調べている。
長瀧の長瀧寺のことを調べていると、必ず修験のことが出てくる。
修験の坊から真宗の寺院へ移ったという例が郡上には多い。
というわけで、そもそも修験とは何かを調べてみた。
「白山の歴史ー神と人とその時代」下出積與著には次のように書いてある。
「白山修験の展開」という章の中に、自然な信仰の対象である白山をどうとらえているかということが書いてあった。これが山岳信仰の原点である。
①素朴な山岳信仰
夏でも雪をいだく白山は、水源であると同時に、火を噴く恐ろしい神霊の鎮まる山であり、水を司る農業神であると同時に霊異神であった。
②仏教の山岳観
高山峻岳を仏・菩薩の曼荼羅世界ととらえ、ここに分け入って修行することによって、はじめて仏・菩薩と一体になりうる。この考えは密教において顕著。
③道教の山岳観
深山幽谷を神仙の世界とし、ここに踏み入って修練することによって宇宙と合体して神仙化、すなわち永遠の生命を得る。但し、この神仙思想は民間道教として日本海沿岸地方に伝わったもの。
こういう山岳観が合わさって白山信仰と修験が成立してくる。
この本によって、修験道の原点としての道教に初めて出会った。
密教と古神道が融合したものが修験だと思っていたから、道教の登場は新鮮だった。
(修験=密教+アニミズム)⇨(修験=密教+道教+アニミズム)
「修験とは山岳に奥深く踏み入って修行すること」
・泰澄は民間の仏教者・修験者であり、中央仏教界の主流であった真言密教の典型的な密教僧に変容された。
・在地の民間修験者の山岳観は、在地における民間仏教・民間道教的な生活の中から生まれてきたものである。8c頃
・修行のための霊場と化していった山岳信仰としての白山修験の成立。
官符仏教⇨本地垂迹説(理論的神仏習合+真言密教)
熊野系・金峯系修験に属す
なるほど感じるが、仏教の山岳観と道教の山岳観が同じに見えてしまうのはどうしてだろうか?