銀の食器は本来私のものではなかった

七里恒順師のエピソードに泥棒に入られた話がある。
「その金は仏様からのお預かりものだ。仏様にお礼を言ってから帰りなさい。」
「盗られた覚えはない。与えはしたが盗られたのではない。」
 
この話から思い出したのが、レ・ミゼラブル
昔、子どもたちに読み聞かせていた「ジャン・バルジャン物語」を引っ張り出した。
その中に、ジャンバルジャンがミリエル司教と出会う場面がある。
 
ジャンバルジャンはたった一切れのパンを盗んだ罪で、19年間牢獄につながれる。
出獄した彼はミリエル司教の家に行き夕食をごちそうになり、泊めてもらう。
その晩、彼は司教を殺そうとするのだが、信頼しきった寝顔にかえって恐ろしさを感じて、
銀の食器だけを盗んで出ていく。
この食器はミリエル司教が唯一大切に使っていたもので、金目のものといえばこれしかなかった。
警官につかまったバルジャンに、ミリエル司教は
「どうして銀の燭台を忘れたのか」と語る。
銀の食器は渡したのだと。そして、彼は妹に語る。
「あの銀食器は私たちのものだったかね」
「私は間違っていた。長い間自分のものにしていた。あれは貧しい人たちのものなのだ。」と。
そして、司教はバルジャンに言う。
「忘れてはいけない。この銀の器は、正直な人間になるために使うのだと、私と約束したことを。」
ところが、放免されたバルジャンは苦しむ。
彼は羊飼いの少年が落とした大切な40スー銀貨を足でかくして盗ってしまう。
その時だ。
彼の中に激しい後悔の念が浮かんできたのは。
「ああ、おれは、なんというなさけない男だ。」
と、彼は19年この方初めての涙を流す。
 
ミリエル司教のこの考え方に感動するのは、無所得の思想からだ。
しかし、この考え方は、妙好人(貧しい庶民)にとっては当たり前のことだった。
自分のモノとは考えず「仏さまからのあずかりもの」と考えていた。
子どもも、自分のモノとは考えず「仏様の子」と考えていた。
 
七里師の話や妙好人や慧海師の話は、盗まれた側の話である。
盗んだ側の話は、列島の中には残されていない。
私が知っているのは、バルジャンだけである。
彼が、その後に羊飼いの少年から奪うことによって初めて自覚した「自分自身の罪」
 
彼は、臨終の時に召使の老女から
「司祭を呼びましょうか?」
と問われ、燭台を指して
「司教さまは一人おられる」
と断る。
 
涙があふれる場面である。