2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「お念仏のはたらきとお育て」

ネパールの地震の被害の大きさに驚いている。 河口慧海師の著書を読んでいて、チベットやネパールが身近に感じられるようになったので、 どこか遠い国の話ではない。 これは慧海師の旅の地図で、カトマンズの西に龍樹嶽と書いてある。 グーグルマップで見る…

「サムシンググレイト」と仏のはたらき

「サムシング・グレイト」とか「大いなる意識」が存在するという仮説がある。 「創造説」や「インテリジェントデザイン」と同じ種類のものだ。 極めて宗教的な仮説なので、どのように対応したら良いのか考えてみた。 というのは、私も阿弥陀仏の本願を考えて…

「反知性主義」と「信仰復興運動」

「反知性主義」という言葉をよく見るようになった。 「半知性主義」という言葉もあるらしい。 とすると、「汎知性主義」という言葉も作ることもできる。 最近はやりの「反知性主義」は、「バカ」ということらしい。 とすると、凡夫ということかと思い、それ…

約仏と約生

約仏、約生という言葉がある。 約仏とは主語が仏、約生とは主語が私。 主語が仏のことばを述べるということは、私が仏の立場に立って考えるということ。 もちろん、そのようなことはできうるはずがない。 唯一、仏からの言葉やはたらきを感知したときに可能…

おまかせとは赤子が乳を吸っているように

今日、プチ法話会があった。 法話とは何か、いつも不思議に思う。 聴聞に来られた方から教えていただいたことがある。 赤子が、何の心配もせずに母親に抱かれ、乳を無心に吸っているようにおまかせする。 それが、念仏であると。 私たちができうることは限り…

月が私を見ている

月を真実=仏に譬える時、 私は、指している人、それを見ている私の二つの立場しか考えない。 でも、本当は、真実=仏=月が私を見ているのだ。 月は、 「私に気がついてくれ」と願っている。 愚かな者たちに何とか気がついてほしい。 しかし、愚かな人たち…

「聞不具足」の邪心を離るべきなり

信巻の御自釈のお言葉 「欣求浄刹の道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を離るべきなり。」 いろいろな読みがあると思うが、 親鸞さんは、私たちに、「信不具足があることをちゃんと知って、聞不具足であることを生涯離れなければならない…

止観について

メモ アウグスティヌスは、 『「思うCogito」とは、「かき回す」ことであり、「理解するintelligo」とは、「そこから選ぶ」こと』 と言っている。(選択=取捨) 親鸞さんは、 『智とはあれやこれや分別し思いはからうことで思唯ということ、慧とはこの思い…

ただ一向に念仏すべし

親鸞さんは「念仏のみぞまこと」と言われた。 私にとって念仏相続はこの「まこと」に随順すること。 念仏によって、私自身の愚鈍の身、凡夫であることを知らしめていただける。 法然聖人の「一枚起請文」を何度も声に出して読む。 源空述 もろこし(中国)・…

松江の旅と小泉八雲

外堀から見た松江城 小泉八雲像 左側の像とその右奥の方に住んでいた家がある。 小泉八雲の書いた「怪談」や「日本の面影」には、明治までの日本の姿が描かれている。 青空文庫に「死生に関するいくつかの断想」がある。 http://www.geocities.jp/kaijyonout…

ながむる人の心にぞ住む

出雲へ行ってきた。 小牧空港から出雲空港までの直通便が3月30日に開通。 機体はとてもカラフルだ。往きはグリーン、還りはライトブルー。 この機体だと、出雲まで1時間で行ける。 小牧までの1時間弱を合わせても、3時間で行けるのは驚きである。 叔父…

この議論は私の学習になったか

庭でツグミを見たのは初めてだった。 子どもの頃、カスミ網で捕ったツグミを食べたことがある。 こんなにかわいい鳥だったのかと、とても後悔する。 私はどうも議論が好きで、親しい人とよく論争になってしまうことがある。 最近まで、議論で相手を変えよう…

「別れのワルツ」を歌えるようになったのは誰か?

知り合いから、蛍の光は4拍子だけど、パチンコで最終にかかる蛍の光は3拍子だと聞いた。 パチンコの方は「別れのワルツ」という曲らしい。 そこで、3拍子で歌ってみた。 歌えない。 すぐに4拍子になってしまう。 ユーチューブで聞くと歌えるが、一人で拍…

B.B.でいろいろなシステムを考えると

面白いので、B.B.の図をいくつか作ってみた。B.B.が面白いのは、応用が広いからだ。 B.B.の導入は、これで。例としては、人間の反射運動や自動ドア。自動販売機を例にとると、入力は複数あることに気がつく。 次に、二つのB.B.をつなげてみる。 初め…

学習ⅡをB.B.で表現すること

整理整頓をしていて、入力と出力に分けていたら、気がついたこと。 B.B.にフィードバックを取り込んだら、ベイトソンの学習Ⅱがうまく表現できるのではと気づいたこと。 それは、結局こういうことだった。 (1)今までB.B.は変化しないものと考えていた。 (…

フィードバック(成長)するブラックボックス

昨日、整理するときに、入力と出力をブラックボックスで喩えていて、気がついたことがある。 それは、ブラックボックスにフィードバックを取り込むと「整理すること」も表すことができるということだ。 出力したものが、今度は入力するものになることをフィ…

「意味宇宙」の地図を描くこと

昨日は一日中整理・整頓に追われた。 つれあいができるだけ捨てよという。 捨てれるものなら初めから貯めはしないが、容量がパンクしそうなので整頓することにした。 本は図書館を利用することで何とか回避。 それでも、どうしても必要な本を買うので、多少…

「私」とは何か、「私の脳」≠「私」

これがミツマタの花あることを知った。 子どもの頃、大きな蒸し器で、蒸して皮を剥がしていたのはミツマタだったのか、楮だったのか。 そういう思い出は、私の脳に記憶されているのだろう。 ところが、その記憶は、はっきりとしたものではない。 もっとも記…

未来の罪を懺悔するチベットの人

「チベット旅行記」をずっと読んでいる。 パソコンで読むので、とても疲れるが面白くてやめられない。 いくつか心に残ったところ ○慧海師がチベットで盗賊に出会い、何度も食べ物やお金を盗られ大変な苦労をしている。 その盗賊に対して恨みに思うかとチベッ…

慧海師の「断事観三昧」

河口慧海師が、その困難な旅の中で、生死を分けるような判断を下さねばならない時、 「断事観三昧」という禅によって判断をするという場面がチベット旅行記の中に出てくる。 「断事観三昧ということは、 およそ事柄が道理で極められる事はその道理によりて善…

「100分で名著」涅槃経(ブッダ最後の旅)

昨夜の「100分で名著」から、涅槃経(ブッダ最後の旅・中村元訳)が始まった。 なるほど、最初のヴァッジ族(古代インドの共和国)の話は、教団が持続するための組織論の話だったのか。 こうやって聞くと、自分が自覚しなかった所を指摘してもらえる。 マ…

井上円了の「真怪」

桜に沢山のミツバチが集まっていた。 日本ミツバチと西洋ミツバチの区別は明確にできなかったが、両方ともいたように思う。 家に、井上円了の「成功在忍耐」の書の額があったのを思い出して、写真に撮ろうと思ったが、 いくら探しても、見つからなかった。 …