今日、プチ法話会があった。
法話とは何か、いつも不思議に思う。
聴聞に来られた方から教えていただいたことがある。
赤子が、何の心配もせずに母親に抱かれ、乳を無心に吸っているようにおまかせする。
それが、念仏であると。
私たちができうることは限りがある。
後は、おまかせするしかない。
疑っても良い。
疑って疑って、やがて疑いが無くなった時、疑いが晴れたとは言わない。
赤子に戻っただけだ。
歳をとらんと分からんことがある。
それは、理屈ではない。
知識でもない。
それは体験である。
おまかせするとは、無責任ではない。
おまかせするとは、何もしないことではない。
おまかせするとは、天命に任すことではない。
おまかせするとは、天命がわかることだ。