「四門」の水際

七里恒順師を調べていて面白いことを知った。
七里和上は、念仏の生活を4つ(四門)に分けている。
 
まず求法、次に安心、そして報謝、さらに処世である。
 
求法においては、信を獲る前だから、最も熱心に一生懸命に法を求め聞かなければならない。
安心は、一念帰命(聞信の一念で易く決定できる)。そのままのおたすけ。
報謝は行住坐臥、寝ても覚めても称名念仏せよ。
処世は、品行を慎み、職業に勉励せよ。浄土へ参る人は自ずから他の人と異なるはず。
 
この観点で、法語や法話を読むと分かり易い。
しかし、七里和上はこう注意している。
 
求法を次の安心と混同して、「このままながらのおたすけ」と、居眠りしながら聴聞する。
安心を報謝と混同して、「念仏を喜ばれるの、喜ばれぬの、称えられるの」と嘆く。
報謝を安心と混同して、「このままでいい、称えなくても称えてもいいと」心得違いをする。
処世を、「わが身は凡夫じゃ」と、その身を慎まない。
これらのことは、わが身にも思い当たることがある。
心せねばならない。
 
求法心だけは獲信前、その他は後である。
膳の盛り方に喩えてあった。
 
求法は汁で、熱心に精進する。
安心は飯で、聞信一念。
報謝は平皿で、自行化他。
処世は皿で、職業行状。
 
ご飯が汁の中に入っていては、いかにおいしい汁でも台無しだと。
念仏はいずれにもあるが、特に報謝行である。