パソコンで読むので、とても疲れるが面白くてやめられない。
いくつか心に残ったところ
○慧海師がチベットで盗賊に出会い、何度も食べ物やお金を盗られ大変な苦労をしている。
その盗賊に対して恨みに思うかとチベットの尊者から問われ、
「私にそれだけの取らるべき原因があってかの強盗に取られたのでありますからあの人を憎む必要はない。
私がかような不幸な目にあう原因を持って居るこそむしろ憎むべきである。
私はこの借金 済 ( な ) しの出来た事を 悦 ( よろこ ) んで居るのである。
だから何も彼らに対して呪法を行う必要もない。
どうかあの男も私の物を 奪 ( と ) ったのを因縁として、この世では行かずともせめてあの世においては真道に入って立派な人間とも菩薩ともなるようにと願いを掛けた訳である。」
と答えている。これを読んだときに、妙好人が泥棒に対して全く同じことを言っているのを思い出した。
○慧海師はチベットで出会う人たちにたびたび説法をしている。
漢訳のみに入れたのかと思い、岩波の三部経を見てみた。
親鸞さんは五悪段には全く触れていない。中国的な色彩の強い個所だから中国で挿入されたという説がある。
しかし、初期の漢訳にあるということは、所期の原典に存在していたという説が納得できる。
○その時、聞いていたチベットの人たちが五悪段で泣き崩れて、やめてくれと頼むところがある。
彼らは、自身に重ねたのである。
慧海師は、カイラル山を五体投地を繰り返しながら回っている人が懺悔する声を聞いている。
彼は過去の罪の懺悔をするだけでなく、未来に犯す罪の懺悔までしていると驚いている。
過去の罪を懺悔反省して、未来に罪を犯さないようにするのではないかと。
しかし、チベットの厳しい自然の中で生き抜くことは、罪を作らざるを得ないと感じる。