台風直撃を心配したけど、段々遅くなり開催することができた。
参加者は5名。
皆さん私よりも年上。
子どもたちと老人たちが私の友人。
これをどうつなぐのかが新しい課題。
大無量寿経の3回目。
親鸞さんの大経讃を印刷してギターで歌った。
左訓と名畑応順師の書かれた訳をつける。
さえぎられることなき光の如来なり。
悪行煩悩にさえられぬによりて無碍と申すなり。
貪欲(むさぼり)の煩悩を救け、貪欲の罪を消さむれうにして清浄歓喜と名づく。
瞋恚(いかり)の煩悩を救けむれうに歓喜と名づくなり。
愚痴(おろかさ)の煩悩を救けむれうに智慧と名づく。
「れう」は料で意味は種とか材料。
この光は餓鬼・地獄・畜生に対応して照らす。
貪欲を照らすのが清浄光だと思うのだけれど・・・
定散自力の称名は
果遂のちかひに帰してこそ
をしへざれども自然に
真如の門に転入する
定心・散心の自力の念仏は第二十願の果遂の誓によって、教えなくても自然に第十八願の他力念仏に転入する。
この和讃は私に勇気を与えるもので、大好きな和讃の一つ。