「チベット旅行記」と在家仏教

ついに「チベット旅行記」を読了。
パソコンで読むので、一日に4~5章だったが、ここ三日は10~20章を読んだ。
 
慧海師が、チベットを脱出した後に、チベットの友を助けるために
再びネパールへ赴き、ネパールの大王に会いに行くところも、慧海師のやさしさを感じた。
それは全て仏教徒としての信念からきている。
 
チベットで慧海師は五戒のうち、不妄語のみは守ってはいない。
でも、それは真の目的を達するためのやむを得ない手立てであった。
 
を読むと、仏教の近代化を釈尊に戻って追求した真摯な仏法者であったことがわかる。
列島に帰るとき、ヒマラヤで修行をした釈尊の六年と比べながら、自身の修行の至らなさを嘆く。
しかし、ヒマラヤでの修行を列島でも行えばよいことに思い至る。
 
チベット旅行記に、チベットを脱出した後に、インドで、井上円了師や大谷光瑞師と出会う場面が出てくる。
慧海師が井上円了師や光端(鏡如)上人とつながっていたことは、
仏教の近代化を試みる上で多くの人たちがつながっていたことを示している。
 
慧海師は、列島やインドやチベットで様々な宗教を学ぶ。
その学び方や身体で学ぶということを旅行記を見てもうなずける。
そして、仏教のみが真に合理的、理性的な宗教であると到る。
でも、慧海師は当時の日本仏教諸派を痛烈に批判している。
日蓮さんの四個格言よりもすごい。
だってその日蓮宗を批判しているし、自分自身の禅宗も批判している。
 
世界無僧無仏
天台無根律無行
真言無真日無戒
念仏無教禅無灯
皆無教化無実教
徒有迷信虚偽生活
並有害他流毒国家
 
そして、たどり着いたのが、釈尊の仏教=在家仏教。
懺悔と三宝帰依に基づき、在家の戒である五戒を堅持して、
それぞれの家業に努めながら仏教を学んでいく。
そうすれば、菩提心を発して、六波羅蜜を行じる菩薩となる。
 
この近代化をめぐる私のチベットとネパールの旅はとても楽しかった。