「意味宇宙」の地図を描くこと

昨日は一日中整理・整頓に追われた。
つれあいができるだけ捨てよという。
捨てれるものなら初めから貯めはしないが、容量がパンクしそうなので整頓することにした。
 
本は図書館を利用することで何とか回避。
それでも、どうしても必要な本を買うので、多少は溜まる。
最近使っていない本は移動。
 
問題はファイルだ。
もらった資料、新聞資料、さらに、思いついたメモ、理解するためのメモなどを使用済みの紙の裏に書いている。
興味が無いものはすぐに捨てているが、面白そうなものはとっておく。
一定溜まると、分類して封筒に入れる。
最初からテーマを決めて溜める場合があるが、いずれにしてもその封筒がどんどん溜まる。
 
溜まるのも当然で、入力だけで出力が無いからだ。
だから整理するのであるが、どうやら、出力を整理やファイリングと思っているようなのだ。
一応、分類してみると、
入力は、新聞、メール、本、サイトニュース、郵便、書類など。
出力は、日記、メモ、パソコン、書き込み、ファイリングなど。
 
サイトの記事はフェイバリットに入れて紙にしないつもりだったのだが、
経年とともに、紙にして線を引いたり書き込みをしないと理解できない様になり、結局紙が増える。
とすると、入力とは理解なのか?
 
でも、私の場合、理解したら終わりであるから出力ということになる。
  入力(それは何だ?) → B.B. → 出力=理解
 
そうか!理解するためのメモだから、それは「意味宇宙の地図」を描く作業なのだ!
ファイリング=分類も意味宇宙を探るためであり、地図さえ描ければ、出力は終了するのだ。
 
ただ、私のワーキングメモリーはきわめて少ないので、
地図を描くためには常に意識に上らせないとどこかに埋もれてしまう。
そのワーキングメモリーに上らせるために、見えるところに書類の束が必要なのだ。
 
ということで、結局、もう興味がなくなったもの=わかってしまったものを、別の場所に動かしただけであった。
つれあいは、動かしただけで捨てないから整頓ではないと言っている。