フィードバック(成長)するブラックボックス

昨日、整理するときに、入力と出力をブラックボックスで喩えていて、気がついたことがある。
それは、ブラックボックスにフィードバックを取り込むと「整理すること」も表すことができるということだ。
出力したものが、今度は入力するものになることをフィードバックという。
それは生き物にとって当たりまえのことなのだ。
 
「指し示しの数学」で、次は関数を取り上げようと思っている。
今まで、関数の授業でいつもブラックボックスをモデルとして提示していた。
5、ブラックボックス・・ブラックボックスを使って世の中を見る)
これはとても強力で、私自身もブラックボックス的な思考からなかなか抜け出すことができなかった。
 
ブラックボックスの極めて単純な例の一つが関数である。
そして、ブラックボックスはコンピュータのはたらきなどを理解するのにとても便利な概念だ。
さらに、変化という一見複雑な現象を現すにも、関数は都合がよい。
 
でも、ブラックボックスは、あまりに因果律が線型的であって、現実の世界を表現していない。
そして、入力と出力がはっきりと分かれていて、要素還元的だ。
例をあげると、人間をブラックボックスに譬えることはできない(のにそういう風潮があるのが問題)。
(人間の場合は、無限の入力と多くの出力を考えなければいけない)
つまり、ブラックボックスは、仏教でいうと、縁起の法を無視している。
 
というわけで、ブラックボックスを使うのをやめようかと悩んでいたわけだ。
ところが、昨日、「整理は入力と出力に分けられない」とわかったとたんに、
ブラックボックスにフィードバックをつけたら、関数としても使いやすいモデルとなると気がついた。
 
では、ブラックボックスにフィードバックを取り込むとはどういうことか。
いろいろな例を考えたが、生き物が一番良い。
例えば、「犬にお手を教えるにはどうしたらいいのか?
 
      「お手」→ 犬 →足をあげる
 
こういうようにブラックボックスにすると単純だが、現実に教えるとなると簡単ではない。
お手は反射ではないから、教える必要がある。犬からいうと学ぶ必要がある。
まず、犬の前にエサを出し、それを手で握って隠す。
すると、犬はエサをもらえないので困る。
 
エサ→犬→もらえない→じたばた→足を上げる→「お手」と言う(ここでフィードバックする)→エサ
 
だいたいこういうようになる。
この場合、フィードバックをしているのは犬である。
そして、犬から見ると、足を上げる=「お手」という声=エサをもらえるということを「学ぶ」のだ。
これを、ブラックボックスで表現すると、入力は一つでなく、自分自身の行為も入っていることがわかる。
 
これをブラックボックスでどう表現したら良いのか? 
 最初は、  エサ→ 犬 →食べれる・うれしい 
この犬=ブラックボックスは変化=成長する。                 
エサ→「お手」→(これがフィードバック)足を上げる→ 犬 →足を上げる ⇒ 「お手」→ 犬 → 足をあげる=エサ
 
ウィナーは、フィードバックの原理についてこう説明している。
自分の行動の結果を調べて、その結果の善悪で未来の行動を修正すること
 ここにはフィードバックが学習であり、自分自身(ブラックボックス)が成長・変化することが述べられている。
 
そして、怒りを込めてこう書いている。
動物においても、機械においても行動を外界に対して効果的に遂行させるためには、
フィードバックの作用が欠かせない。 (でないと機械は暴走し壊れる。生き物は生き残れない)
そして、それらがしようとした動作ではなく、外界に対し実際に行われた動作が中央の調整装置に復命されてきて、そのフィードバックは修正された動作を生み出す。
 
「この点において、我々の社会観は、多くのファシスト、実業界の巨頭、政府などが抱いている社会理念とは異なる。そして、彼等と似通った権力欲の野心家が科学界や教育界に全く見られないわけではないが。かかる人々は、あらゆる命令が上から天下り、決して戻ってはこないような組織を好む。(フィードバックのない組織
彼等の支配下にあっては、人間は或る高級な神経系を持つ有機体の器官と同列の段階に引き下げられてしまう。私は本書を、かかる人間の非人間的な使い方に対する抗議に捧げたい。
何となれば、私は人間に対しその全資質より少ないものをもとめ、より少ないものしか持っていないとして扱うような人間の使い方は、いかなるものでも、一つの冒涜であり、一つの浪費であると信じるからである。」
                「人間機械論―サイバネチックスと社会」より