「聞不具足」の邪心を離るべきなり

信巻の御自釈のお言葉
 
「欣求浄刹の道俗、深く信不具足の金言を了知し、永く聞不具足の邪心を離るべきなり。」
 
いろいろな読みがあると思うが、
親鸞さんは、私たちに、「信不具足があることをちゃんと知って、聞不具足であることを生涯離れなければならない」
と告げておられる。
永くであるから、生涯聞かなければならないということだ。
そして、聞不具足は邪心であると。
 
「聞く」ということほど、大事なことで難しいことはないと思う。
聴聞に徹するということは、私たちにとって最も大事なことであるというのは、
聞くという中に真実の道があるからだ。
 
私は聞かねばならないと思う。
しかし、あなたの意見を聞くと言って、実は私の意見を聞けという場合もある。
それは、邪心なのだ。
 
 一切の梵行(念仏)の因は善知識なり。
 一切梵行の因無量なりといへども、善知識を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ(おさめつくす)。
 一切の悪行は邪見なり。
 一切悪行の因無量なりといへども、もし邪見を説けば、すなはちすでに摂尽しぬ。
 阿耨多羅三藐三菩提(さとり)は信心を因とす。
 これ菩提の因また無量なりといへども、もし信心を説けばすなはちすでに摂尽しぬ。

 

 
この涅槃経の言葉は深い。