なるほど、最初のヴァッジ族(古代インドの共和国)の話は、教団が持続するための組織論の話だったのか。
こうやって聞くと、自分が自覚しなかった所を指摘してもらえる。
マガダ国王アジャセは、ヴァッジ国を滅ぼそうと考えて、釈尊に相談する。
釈尊のその時の答え方が素敵だ。
釈尊はその問いに直接答えず、アーナンダに問う。
「ヴァッジ人は、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集するということを聞いたか?」
「ヴァッジ人は、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集するということを、私は聞きました。」
「それでは、ヴァッジ人が、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参加する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。」
と語る。
以下、協同していること、法を守っていること、長老を尊敬していること、女性に暴力を振わないこと、
自分たちの宗教を大事にしていること、修行者を尊敬していることを上げて、
そうである限り、ヴァッジ族は繁栄し、衰亡はないと、
アジャセにヴァッジ国を滅ぼすことは不可能であることをこのように語る。
この出来事が、釈尊のサンガへの遺言と重なってくる。
仏・法・僧のうちの僧とはサンガ(目的を持った集団)である。
サンガは、「自己鍛錬のためのシステム」である。
それは、自己鍛錬は個人では困難であることを示している。
それが保たれている間は、繁栄し衰退することがないと。
サンガは戒律を持つ。
戒が個人の心構えで、律が集団における規律のこと。
釈尊は、それが守られている限り組織を衰亡させないと語る。
そして、戒定慧を示す。
定とは、精神統一のこと。
慧とは智慧のこと。
そして、最後に釈尊はこう述べられる。
「戒律とともに修行して完成された精神統一は大いなる果報をもたらし、大いなる功徳がある。
精神統一とともに修養された智慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。
智慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、即ち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから全く解脱する。」